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太陽の神様

 今年(2024)の冬は比較的、暖冬のようですが曇りの日などは都内でもやっぱり寒くて、そういうときは太陽に出てきてほしいとみんな願うのではないでしょうか。お日様はありがたいです。

 さてここからは、昔々、今からずーっと昔のお話しになります。

 はるか昔、日本を目指して大陸から多くの外国人がやってきました。
彼らは主として、「太陽の昇る国」としての「日本」に向かってきたのです。地球は球形ではなく平らだと考えられていた時代、太陽が昇る方向へ向かうことは、理想に向かうことを意味していました。
 あらゆる国の信仰の原初は、太陽信仰だといっていいでしょう。太陽が昇る国に行こうとする精神的な衝動、希求が、まさに日本という国に集中していたといえます。

新 日本古代史 田中英道著

 田中英道はとても優秀な経歴を持つ学者で専門はフランス・イタリア美術史、日本美術史、日本古代史など多岐にわたります。またその学説は他に類を見ないユニークなものです。

 では「太陽信仰」「太陽神」とはどのようなものでしょうか。多くの人が以下のようなエジプトの神の姿などをイメージするのではないでしょうか。

 でも日本語のWikipediaを見ると先頭に「天照皇大神」がいます。

 英語でも記事を表示するとやはり上のほうに置かれています。

 もともとオリエント(東方)とオリエンテーション(方向づけ)は同じ語源で、太陽の昇る場所に向かっていくことを意昧しました。
 アフリカが最初の人類の発祥の地と呼ばれるように、日本も「太陽が昇る国」、英語で「ライジング・サン・カントリー(rising sun country)」、フランス語山で「ル・ソレイユ・ルヴァン(le soleil levant)」イタリア諮で「イル・ソーレ・レヴァンテ(il sole levante)」と呼ばれていることを忘れてはなりません。
 「日の本」という言葉は、まさにそのことを表しています。

新 日本古代史 田中英道著

参考

 このように古代から日本は、字義(じぎ)通り「日の本」の国であり、世界中の人々が理想を求めてやってきていたようです。そしてよく言われるように、日本の歴史は神話と一続きにつながっているのです。

 私が特に注目しているのが、『古事記』『日本書紀』『風土記』でも一様に語られている高天原(たかまがはら)、つまり「日高見国(ひたかみのくに)」という国の存在です。縄文時代は日高見国の時代で、それが神話に記されている「高天原」なのです。

 『古事記』『日本書紀』(以下、『記紀』と記す) の高天原は、現実には日高見国という国で、縄文時代から発生していると考えられます。
 「高天原」という地名は単なる神話、フィクションではありません。
現代でも鹿島神宮や香取神宮、あるいは筑波山などの近くにその名称が銭っています。また、高天原という名前でなくても、日高見国と通じる、北海道の日高地方ゃ、日高見川ともいわれている東北の北上川があります。

新 日本古代史 田中英道著

 神話に出てくる話や出来事は、実際の歴史とは関係のない作り事、フィクションとして教えられていないでしょうか。でも今も使われている地名にはその神話の名残りが残されています。

 私は高天原の物語は単なる幻想やフィクションなどではなく、縄文・弥生時代の記憶をもとにつくられた物語、歴史であると考えています。
具体的な地名が非常に多く書かれているからです。
 たとえば、『日本書紀』の景行(けいこう)天皇の二十七年の記事に、「東夷(とうい)の中、日高見国あり、その国の男女、並びに椎結文身(かみをあげみをもとうげ)(髪を分けて入れ墨を入れ)て、人となり勇悍(ゆうかん)なり、これ総(すべ)て蝦夷(えみし)という」とあります。
 平安時代の『延喜式』に定められた祝詞(のりと)『大祓詞(おおはらえのことば)』には、日本全体を示す「大倭日高見国(おおやまとひたかみのくに)」という言葉が使わています。中国の歴史書『旧唐書(くとうじょ)』には、「倭国」と「日本国」とが別々に書かれています。

この「大倭日高見国」は、「大倭」の下に書かれていることから、奈良の大和を示すのではないかと類推されていました。しかしそうではなく、日本の東半分に日高見国という別の国があったのです。
<中略>

 日高見国とは「太陽が昇るところを見る国」です。
つまり奈良とは考えづらく、東の関東・東北にこそ、「太陽が高く昇るところにある国だから日高見国」という名がついた国があったと考えられます。

新 日本古代史 田中英道著

 関東から東北にかけて、縄文時代から非常に発達した文明があり、多くの人々が暮らしていたことがわかっています。そして歴史書などにも国の名として記述されたものがあり、それは現在の地名と照らしてみることができます。
 日本の東半分、関東から東北にかけて日高見国という別の国があったのです。そしてそれは、高天原(たかまがはら)のことではないでしょうか。

 これは私たちがまだ知らない日本の歴史を知り、調べていく最初の手がかりになるのかもしれません。

 去年も一昨年も夏はとてもとても暑くて天気キャスターは連日、「猛暑日」と言ってました。農作物が育つためには雨が降らないと困りますので、夏に日照りが続くと「雨乞い」などということばをふと思い出しますが、今年(辰年🐉)はどうでしょうか。


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