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死者との共存

第6章 ぼくらの『ジャズ』視聴前レビュー


死者との共存


 『平凡』制作時から、突然志磨のスピリチュアル発言が増えた。
 本当に増えた。
 ツイッターやドレスコーズマガジンの記事などで、デヴィット・ボウイをはじめ、死者の名前をよく口にしては、ファンを動揺させている。

 しかし、「物理的に存在しない民族」ぼくらドレスコーズにとっては、物理的に存在しない死者との共存も可能ではないだろうか。

 不謹慎ではあるが、死によって生きていた頃よりも死者を身近に感じる瞬間は多い。人間は、死者を忘れないために、葬式、四十九日、盆参り、法事など、どの宗教においても様々な儀式を行ってきた。
 ぼくらが部屋で ≪PLAY LIST≫ で「遊ぶ」ように、生きている人間が自らの願望のために「祈り」をささげることもある。
 儀式を行うため、祈りをささげるために生まれたのが、演劇や音楽をはじめとする芸術である。非物理的な存在を近くに感じ、共存する。そのために芸術があるのだ。

 ぼくらドレスコーズが過ごす「部屋」も、物理的に存在しない「空間」であり、ぼくらは「存在しない民族」である。
 志磨の音楽が存在し、≪PLAY LIST≫ で「祈る」ことによって、志磨を身近に感じることのできるよく似たぼくらは、物理的には会っていなくても共存することができるのだ。

 つまり、「物理的に存在しない民族」ぼくらドレスコーズは、死との境界が曖昧であり、死者と共存できる民族である。志磨のスピリチュアル発言もわからなくはない。


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