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048.読書日記/ゴーギャンを非難するための読書

先日読んだミシェル・ビュッシの「恐るべき太陽」の舞台がゴーギャンが晩年に暮らしたヒバオア島だった。ゴーギャンの名前もチラホラ出てくるし、割と好きな画家であるし、少しネット検索してみた。30半ばで画家を志し、妻子を置いて制作のためタヒチへ。14歳(!?)の現地妻×2、その他大勢とも関係を持っていた。パリで梅毒に感染していた上で。これって、言語道断、極悪非道ではないか?と思って、興味を持って本を数冊読んでみた。


サマセット・モームの「月と6ペンス」はゴーギャンをモデルとしたとのことで読んでみたが、伝記ではなく着想を得たくらいだからか相違点が多い。また、ネット検索で予約したので、うっかり小学校高学年〜中学生向けに易しくしてある本を借りてしまって(どうりで昔に読んだ感じと違うと思った)全然面白くなかった。

こちらは画集兼解説書的本でわかりやすい。年代順に描いた絵を見ながらその生涯を追っていける。どん底と思われる時期の絵が暗いとは限らないのが興味深い。
ただ現地妻についての記述は少ない。wikiには「ヒバオア島の住まいを『快楽の館』と名づけて、ポルノ写真を壁に飾り、原住民がそれを見ようと詰めかけた」とあるが、この本では、「新しい住居を『愉しみの家』と名づけて原住民と仲良く付き合っていた」くらいの書き方で、破廉恥と思われるところをマイルドにしているようだ。

次に読んだのが、福永武彦さん。大学の時に「夢見る少年の昼と夜」という本を読んだな。内容は全く記憶になくて、タイトルのみ覚えている。映画「モスラ」をTVで見ていて、原作者の一人に名前が入ってて、おお!と感心したことも。池澤夏樹さんのお父さんだそうです。離婚されてて、池澤さんは成人後に知って、大変驚かれた話をどこかに書いておられました。
で、福永さんはゴーギャンのファンなんですね。
ゴーギャンもアレかも知らんけど、ヨメハンにも悪いとこあったんちゃうん?的な書き方です。え〜って感じ。絶対ムリ。シゴト勝手に辞めてあちこちで浮気して子ども作ってるダンナになんで優しい言葉をかけて励ましてやらんといかんとばい?おまけに絵を描きに渡った南の島で14歳の現地妻を持ち、その生活を綴った本を出版してしまうて…。ちょっと奥さん、アレ読まはった?「原住民の少女と夢のような生活」やって!もう離婚でごんす。福永さんたら、少女について「肉体は成熟してる」し、「タヒチでは処女性は尊重されない」(ホンマかいな?)だから、ゴーさんそんな悪いことしてへん的書き方。ある程度の非難の言葉があれば、「この時代のオトコなんてこんなもん」「現代の道徳で断罪するのはいかがなものか」と、逆に私も言うかもしれないけど、開き直られてはねぇ。
一冊丸ごと、福永さんがゴーさんを庇う内容?まぁその気持ちもわからなくはなくて、私もワグナーが映画「ルートヴィヒ/神々の黄昏」でロクでもない業つく爺さんとして出てきた時はガッカリして、だからって作品が貶められることはないもん!と思いましたから。
本としては、これでもかと研究してあって、かなりの読み応えででした。
ちなみに、ゴーギャンがヒバオア島へ来たのは自殺未遂後の最晩年1901年(1899年に男児誕生しているのを置いて移住)で、1903年に54歳で亡くなったのだった。

コレも読んでみました。なんとなく、入試問題に出てくる文章を書くイメージの高階秀爾さん。岩波現代文庫一冊で13人の画家を紹介しているので、ゴーギャン(本ではゴーガンの表記)の章も短め。現地妻についての記述なし。島での制作や生活に随分貢献したと思うんだけどな。

福永さんも高階さんもフランス統治下の原住民にはあまり興味ないみたい。どちらの本も昭和30〜40年頃書かれたものだから、仕方ないかも。時代劇で江戸時代の主人公がやけにフェミニストだったり身分差別しなかったり、現代人の優等生的振る舞いをするのに鼻白む方なので、これはこれで時代の空気を知る読書として認めなくちゃダブスタになっちゃいますもんね。

ゴーギャンの研究書で、南の島でのその悪辣な振る舞いを、知って怒って非難をぶつけよう!と意気込んだのに、空振りに終わった読書でした。
ゴーギャンは何かの展覧会の中で数枚見た記憶があるくらいなので(素晴らしい色と存在感と、思ったより絵が小さかった記憶/大原美術館かもしれない)、またぜひ本物を見たい、と思った。


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