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18きっぷで奥多摩、そしてバスで越境の旅。

いかがおすごしですか、しまたかです。
以前に18きっぷで東海道の旅をした記事を書きましたが、この時点で5回分のうち3回分を消化、残り2回を近郊へ日帰りお出かけしました。
そのうちの一回が前に投降したこちら

そして、今回は残り一回を消化しに東京都の最果ての往復旅。
正月三が日の二日目に行きました。

東京から中央線、そして青梅線を経て、終点の奥多摩までの往復日帰り旅をしてきました。
東京都内ながら片道で1,290円(切符使用)、往復だと2,580円なので、18きっぷ1回分(2,410円)の元がとれるのです。
奥多摩には奥多摩湖やら日原鍾乳洞やら観光スポットもあるので、都心から手軽に行けるということで18きっぱーお勧めといえます。
中央線から青梅線へは立川での乗り換えが一般的ですが、乗り換えなしで東京から青梅まで直行する列車も少なくないので、乗換面倒ならそちらに合わせるのもいいでしょう。
因みに、今回は乗り換えなしの中央特快を利用しました(立川まで84分)。
そして、青梅で終点奥多摩行きに乗り換えます。


奥多摩までの途中の車窓風景。
東京というとビルばっかの大都会のイメージしかない人、これ、東京都内の風景ですよ?
山々をバックに大きな吊り橋、これぞ東京の大自然。

今回使用する写真は、35㎜フィルムを使用したトイカメラ”Diana mini”で撮影したものです。

青梅から40分で終点の奥多摩駅にとうちゃこ。
都内なのに東京駅から2時間以上の長旅になりました。
そして、この山小屋風の駅舎、実は昭和19年に完成したもの(当時の地番だった「氷川町」にあわせて「氷川駅」と呼ばれていた)。
昭和19年というと大東亜戦争の真っただ中、戦時体制やら非常時やらというときによくもこんな山小屋風の駅舎を建てられたものだと驚きです。
当初は登山客を見込んで計画されていたのですが、戦時体制に入りこの地で生産された石灰岩の輸送のため急ピッチに建てられたようです。


駅前にはバスターミナル、何だか田舎の駅前風景そのものです。
ここからはバスに乗り込みます。


奥多摩駅から15分、奥多摩湖に途中下車。
東京というとビルばっかの大都会のイメージしかない人、東京にもこんなにデカい湖があるのですよ?
因みに、正式名称は「小河内貯水池」、東京の水を支える人工のダム湖。
堤高143m、堤頂長353mと、とにかくデカい!
ここから多摩川を経て、東京へ水が送られていくのです。


湖のほとりに佇む「湖底の故郷」と刻まれた石碑。
実はこの地は「小河内村」と呼ばれた村落でした。
ダム建設にあたって村民は転居を余儀なくされ、いわば一つの村を犠牲にしてまで造られたわけです。

さて、奥多摩湖を後にして、ここからさらにバスに乗り込み、奥へと向かいます。

奥多摩湖からバスで40分、奥多摩駅からだと約1時間になりますが、県境を越えて山梨県へ。
向かった先は丹波山村。

どうでしょう、この景色。
東京のお隣の県の風景ですよ?
ここはかつて、青梅街道の宿場町でもあったそうで、その雰囲気が残っています。
実際にバス停も「中宿」、宿場町の中心だったことを示しています。


下見板張りの洋館風の建物。
ググってみるとこれは元郵便局で、大正12年に建てられたそうです。
辺境の村ながら、洋風建築がこうして残っているとは。


宿場町の名残りなのか、こうした民宿旅館も残っていました。


ここからは街道の裏道の風景。



いろいろ撮っていきましたが、途中誰ともすれ違うことはありませんでした。
正月だというのに、至って静かです。


多摩川の最上流にあたる丹波川沿いの河岸段丘上に伸びている集落。
川向うから撮りました。


街灯の上に村のマスコット「タバスキー」が。

これが「タバスキー」です
↓↓↓↓

丹波山村公式HPより


「道の駅たばやま」へ。
鉄道がなく、バスも山梨県なのにお隣り東京都の奥多摩駅からしかアクセスがないので、マイカーの観光客ばかり。
奥多摩からのバスは平日で一日3本しかないですからねぇ(休日は6本)。


山の上に城が見えます。
ここはかつて城下町でもあったそうです。


下に見える吊り橋を渡った先に見えるのが日帰り温泉施設。
帰る前にここでひとっ風呂。

風呂の後は地酒でいっぱい🍶
奥多摩周辺にはこうした日帰り入浴施設があちこちに点在しているので、日帰りでも十分楽しめます。
ぜひとも18きっぷの旅に検討してみてはいかがでしょうか。


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