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おりたたみ自転車輪行で日野ポタリング

皆さん、いかがおすごしですか、しまたかです。
今回はおりたたみ自転車の日帰り輪行旅ということで、東京都日野市へ。

日野駅へは中央快速一本で東京駅から42分ですから、ちょっとしたトリップ。


何しろ降り立った駅がこれですからね。
日野駅の開業が明治23年、当時は甲武鉄道と呼ばれていましたが、国有化後の昭和12年に複線化を機に現在の場所に建てられたのがこの駅舎。
この一帯は田んぼが広がっていたため、それに合わせて入母屋造りの民家風にしたそうで。
令和の世になってもその当時のまま現役として使われている、それも東京都内で。
奇跡といっても過言ではないでしょう。

今回のポタリングはこの日野駅がスタート地点。
なお、今回の写真はDiana+Fで撮影したものです。


日野駅から甲州街道をチャリ走らせていきますが、所々に出桁造りの町家が残っています。
これは宿場町だった名残り。


こちらは店蔵風の床屋さん。

薬屋さんの店名に「仲宿」とあり、宿場町であることを示してくれています。
そのお隣が立派な門構え。


高札場と問屋場があった場所。
高札場とはお上が決めた掟や法度を木の板札に書き、人目引くように高いところから掲げておく場所、これは何となくわかりますね。
では問屋場とは何かということですが、解説してくれているサイトから抜粋すると……

問屋場は宿場でもっとも重要な施設です。問屋場には大きく2つの仕事がありました。一つは人馬の継立業務で、幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する際 に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶというものです。もう一つが幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務で、継飛脚(つぎびきゃく)といいます。
これらの業務を円滑に運営するために、問屋場には宿場の最高責任者である問屋(といや)、問屋の補佐役である年寄(としより)、事務担当の帳付(ちょうづけ)が詰めていました。またその下に、人馬指(じんばさし)とか馬指(うまさし)といった、人足や馬を指図する役職を置いていた宿場もありました。この他にも、参勤交代の大名行列などを宿場の出入り口で出迎えるための迎役(むかえやく)といった役職を設けていた宿場もあります。
問屋場は一つの宿場に一カ所だけとは限らず、一つの宿場に複数の問屋場があった宿場もあります。このような宿場では、交替で業務を担当していました。

(国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所『東海道の誘い』より)

江戸時代の宿場町には必ずと言っていいほどあったもので、今でいう「問屋」とは意味が違っていますね。
それも”とんやば”ではなく、”といやば”と読むんです。


日野宿本陣にやってまいりました。
”本陣””脇本陣”という言葉を聞いたことがあるかと思いますが、これも街道の宿場町には必ずと言ってあったもの。
その中で”本陣”とは大名行列のお殿様が宿泊する場所なのですが、実は現存しているものは極めて少ない。
この”日野宿本陣”は、東京都内で唯一残っている本陣の建物なんです。


この日野宿本陣は内部公開もしており、有料ですが見学可能(大人200円)。
建物は嘉永2年の大火で焼失した主屋に替わるものとして建てられたもので、日野宿の問屋と名主を勤めていた佐藤彦五郎の本陣と自宅を兼ねていました。
大火を契機に自衛の必要性を痛感した佐藤彦五郎は八王子千人同心の井上松五郎から天然理心流を紹介され近藤周助に入門、自らも自宅内に道場を開きます。
道場に入門した人物には近藤勇沖田総司山南敬助など後の新選組のメンバーの名前があり、同じ日野出身の井上源三郎土方歳三も訪れています。
(前述の近藤周助は近藤勇の養父、井上松五郎は井上源之助の実兄)
新選組とのかかわりが深い場所でもあったわけで、実際に佐藤彦五郎はその新選組の人的、経済的なスポンサーでした。


日野は宿場町であると同時に新選組ゆかりの地でもあり、「新選組のふるさと歴史館」なんてのもあります。
こちらにも立ち寄りましたよ。
新選組に特化した史料がここで見られます。
新選組というと永らく悪いイメージで見られてきたものですが、今ではそれもほとんどありませんからね。
新選組もまた尊王の念は強かったわけで、倒幕か佐幕かという違いで末路は違ってしまうわけです。


チャリをひたすら走らせて、京王線沿いの南平へ。
みはらし公園にチャリを停めて高台へ。
結構見晴らしがよく、Diana+Fで撮ってみました。


デジカメで夜景も撮ってみました。
空気が澄んだ好天で、富士山のシルエットがくっきり。



チャリに戻って帰りに高幡不動尊へ。
この時点で夜なので閉まってるかなと思ってましたが、開いていたので境内へ。
いい感じで五重塔がライトアップされ、紅葉といっしょにDiana+Fでパシャリ。
ちょっと二重露光してしまいましたが、夜空に映える五重塔でした。

帰りは高幡不動駅から京王線で。
広く見所が散らばってますので、半日かけてのポタリングにうってつけですよ、日野市は。

今回のルート




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