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幽霊裁判:敗訴・敗訴

小学校高学年のころ住んでいた家は大きな病院のすぐ目の前だった。
夕方薄暗くなってからは、その病院の入院棟の前の小さな道はちょっと怖いくらい静かで、まだ早い時間、6時とか7時とか、でも静まり返った古いコンクリートの大きな建物を通り過ぎる時は自然と早足になった。

ある夕方私はその道を歩いて家に帰る途中に、建物の外に立ち窓枠に手をかけて中を見ている白っぽい人間を見た。一瞬よりももっと長く見たが、怖くなって確かめることもなく走って逃げた。
確かめる、とはそれが生身の人間なのかそうでないのか。

幽霊が絶対にいるとは言い切れない小5の私は帰ってからよく考えた。
あれは幽霊ではないのか。
白っぽい服だったし、女性だった。誰かと話している風でもなく、外の窓から中を覗くのも異様だ。
朝になっても決められない私は、学校に着いてから仲の良い女子にそれを話し、彼女たちの意見を聞くことにした。

4人の女子が4人ともそれは幽霊だ、と断言した。

怖い怖い、シマは幽霊を見た!とクラス中に話が広まり、最後には先生の耳まで届いてしまったらしい。
帰りの会の時、担任の先生は声を張り上げて言った。

”幽霊なんてものはいない。見たことがあるものは手を挙げろ!証拠を出せ!”

多分クラスの全員が振り返り私を見たと思う。どう考えてもこの先生が怒っている理由は私だし間接的に、と言うか直接、私を嘘つき呼ばわりしている。
針のむしろのような気分で吐き気がするほど緊張したが、私は手を挙げなかった。

挙げたところで担任から証拠がない・お前は嘘つきだと叱られ、挙げずにいればクラスのみんなにあいつは嘘をついたと陰口を叩かれ、更に言えば私が見たものは幽霊なのかは自分には判断できなかった。
それを決めたのは話を聞いた他の人なのだ。

私にとってこの帰りの会での幽霊裁判は勝ち目の全くない、全面敗訴の案件だった。

その後幽霊やそれに似た類のものは見ないまま大人になった私は、ある年アメリカの留学先で友人のアパートにいた。

その土地で知り合った唯一の日本人の友人でいっちゃんという一つ上の男の子の家だ。
彼はその前夜、バーで幽霊裁判にかけられていた。

”俺の家には幽霊がいる。姿を見たことはないが絶対にいる。”
そう主張するヒョロヒョロとした若者を囲んでいたアメリカ人たちは笑っていた。

なぜ幽霊だとわかるんだ、見たことないなら存在しないだろ、証拠はあるのか、そんな風に尋問される(私の裁判と違い酔っ払って笑いながらだが)いっちゃんを見たときにちょっとかわいそうに思った。
いっちゃんがそれが幽霊だと信じているなら、そう思わせとけばいいじゃないか。みんなの前で恥をかかせなくてもいいのに、と同情した。

その帰りにいっちゃんを引き止め、幽霊はいると思えばいるしいないと思えばいないだろう、と何の慰めにも解決にもならない言葉をかけた。
いっちゃんは酔っ払っていたが、キッとした目で私に言った。
“俺ん家に来てみろよ、シマもこれは幽霊だ、とわかるよ。”

そんなに自信があるならなぜまだその幽霊アパートに住んでいるのか?
怖いくないのか? そんな質問に彼は
“怖くないよ、見えないんだから”と答えた。

見えない幽霊・・・・じゃぁ怖くなさそうだから(っていうか、いないだろうから)いっちゃん家に行ってみよう。

そんな成り行きで彼のアパートに来た。

夕飯を一緒に作り、片付けをして、リビングで遅くまで映画を見ていた。
いっちゃんのアパートは毎日雑巾掛けをしているかのように床も壁もピカピカで、テーブルの上も下も散らかっているものは何にも無かった。
ご飯を食べた後も、食器は全部洗い、拭いてからキャビネットにテキパキと全部しまった。

そして深夜12時を回ってからいっちゃんが静かな声で言った。

“もういつ出てもおかしくないからね”

テレビのボリュームもぐんと下げた。

いよいよ見えない幽霊がやってくるのだとワクワクするような気持ちだったが一体見えないならどこに現れるのだろう?
いっちゃんは、じきにわかるよ、しか言わずじれったい。

しばらく経って、静かな台所のシンクの蛇口がキコキコと捻られ、水の流れ出る音が聞こえた。
ハッとしていっちゃんを見ると、声に出さず “な!”と口を
大きく開けた。

また、キュッと蛇口を閉める音が聞こえ、それから先は無音だった。

二人でそぉっと立ち上がり、台所へのドアをゆっくりと開ける・・・・と誰の姿も見えない。電気をパチンとつけて並んでシンクへと歩いていくと、見えたものは空っぽのシンクに伏せて置いてあるグラスだった。

いっちゃんが取り上げると、中は水滴がついており、誰かが水道の水をこのグラスで飲んだのは明らかだった。それを見た瞬間、背中がゾワゾワした。

”いっちゃん、幽霊いるな。これは幽霊だ。出た方がいいよ、ここ。”

ゾワゾワのままそう言う私に、彼の返事は

“いいんだよ、見えないし。でも毎晩毎晩コップを置きっぱなしにするのはホントむかつく。片付けろよ、使ったものは。”

幽霊はいたけど、この幽霊裁判はいっちゃんの負けだった。

シマフィー

*過去の記事に加筆・編集して再掲しています

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