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牛とひまわり

幼稚園に上がった頃、じいちゃんとばあちゃんの家があった敷地内に両親が小さな家を建てた。あまり詳しいことはわからないけれども、多分両親が建てたのではないと思う。まだ20代前半で小さな子(私)がおり、じいちゃんが経営する店で二人とも働いていて一体いくら給料が出ていたのか、それとも出ていなかったのか、わからないが、とにかく一戸建てを建てるような余裕は宮崎の小さな町でもなかっただろう。

裏には草ボーボーの”裏庭”があり、そこを抜けてひと一人通れるくらいの小さな抜け道を通るとちょっと大きな通りに出る。その通りに出る手前に牛小屋があった。

記憶の中では短いツノが生えた黒い牛が2頭、抜け道に開いた小屋の窓から顔を出していた。紫色に光る大きな舌からはいつもネバネバの唾液が滴っており、すえた草のような湿った土のような匂いがしていた。夏の間はハエもたくさんいる。

小さな私はばあちゃんや大きい従姉妹のゆりこ姉ちゃんと一緒に牛小屋の前を通るときにはいつも薄目を開けて牛を見ていた。大きな顔や、ぎょろりとした目玉や、ベロベロの舌にすごく興味があるけれど、恐怖心があり、時々ばあちゃんが足元に生えている草を引っこ抜いてはその牛に与えるのを見ながら、ばあちゃんは勇気があるなぁと思っていた。
あの牛は食用だったのか農耕に使ったのかそれともペットだったのか・・・わからない。けれど、それが私が生まれて初めて遭遇した巨大な動物だった。

自分よりも遥かに大きく威圧感があり、大きな口を開けると吸い込まれるような気がして怖い。薄目を開けなるべく足早に通り過ぎる。

ドキドキしながら家にたどり着くと、もう1つ恐ろしいものがある。
裏庭に咲いた大きなひまわりだ。
麦わら帽子を被った自分よりも大きな花が3つも4つも並んでいる。私よりもずっと背が高く、毎日更に大きくなっている気がする。恐ろしい。
その太い茎に手を伸ばすと細い針のようなトゲトゲがあり、それもまた恐ろしい。
ちらりと上を見上げると花が私のいる方、いる方、に向きを変えて動いているような気もする。

人食い花ではないか・・・・ 本が大好きだった私は勝手に頭の中でひまわりが小さな子供を襲うストーリーを作り上げていた。

その夏の夕方、ゆりこ姉ちゃんと私はいつも通りにばあちゃん家で夕飯を食べていた。二人で浜に行き、袋いっぱいのミナ(巻貝)を取ってきてばあちゃんに塩茹でしてもらい、針を使ってほじりながら食べていた。テレビではアニメをやっているけれどじいちゃんが帰ってきたらエンエチケのニュースに替えねばならない。

アニメを見ながらいやしんごろの私は食の細いゆりこ姉ちゃんの分までお稲荷さんやソーメンを食べて、お腹いっぱいになったところで畳の上にゴロンと横になった。畳はひんやりしていて気持ちが良くすぐにうとうとしてしまう。

すると帰ってきたじいちゃんがゴロゴロしている私に向かって大きな声で恐ろしいことを告げた。

”シマちゃん、食べてすぐ寝っ転がったら牛になっとよ。裏におる牛をしっちょるじゃろう?あれはゆりこちゃんの兄ちゃんと姉ちゃんよ。二人とも食べてすぐにゴロゴロしちょったかい、牛になったとよ”

私はさっと起き上がりゆりこ姉ちゃんを見た。”本当?” と聞くのが怖くて声にはならなかったけれど、ゆりこ姉ちゃんは ”じゃーとよ、私の兄弟よ” と真面目な顔で返した。

ドキドキの私にじいちゃんは追い討ちをかける。

”そしてねー、牛が死んだらねー、裏庭に埋めるかい、そっから大きなひまわりが生えると”

ばあちゃんが台所から ”シマちゃんが怖がるかいそんげなん話はやめなさい” と笑い、じいちゃんもゆりこ姉ちゃんも笑った。

私も笑ったのかは覚えていない。
でもそれから後もひまわりと牛の前を通り過ぎる時は極限までの薄目でさらに足早だった。牛になりたくない。ひまわりは牛の死体の上で大きく育っている、ちょっと大きくなるまではそう信じていた。

それから何年か後、両親は遠くの街に引っ越すために、その家を出た。
新しい家はアパートで庭もなければ、じいちゃんもばあちゃんもゆりこ姉ちゃんもいなかった。

そこは狭くて簡素なアパートで、恐ろしい牛もひまわりもいない代わりに、家に帰っても誰もいない、という恐怖があった。

シマフィー 

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