見出し画像

カフェで会うエンジェル

またえらい無理難題を受けてしまったもんだ。

自分の創造性や技術を試す素晴らしい機会だし、大きな仕事だから報酬だって大きい。それでもちょっとだけ後悔していた。

天使って・・・どんな顔してんだ?さっぱりわからん

*何となく続いている短編小説です。順に読んでいただくと人物と背景がよくわかります↓

天使って・・・どんな顔してんだ?さっぱりわからん

ギターを奇抜にカスタムメイドするスターがいるのはもちろん知っていた。
何しろ有名なミュージシャンだしそれまでに披露された数々のギターを見に展示会のようなものにも出向いたことがある。
これまでに世に出されたそのミュージシャンの美しいギターたちは形や色や音は違えど力強く息苦しいほどに男っぽいロックな音を出す名器ばかりだ。
その彼から小さな我が工房に依頼が舞い込んできた。


”天使の笑みをあしらった最高に美麗で芸術的なギターを作ってください”

地味なスーツを着ていていつものキラキラの様相とは全く違うが彼自身がキラキラとスターダストを纏ったようなオーラを放っている。
あぁ、良い匂いもする・・・
ミュージシャンの彼自身がわざわざうちの工房に出向いて丁寧な口調で依頼をしてくれる、その美しい笑みを見ながらどこのバカがその仕事を断るだろうか。

”はい、喜んでお受けします。最高に美しい天使のギターに仕上げます”


それからもう2週間も経ったのに基本のデッサンさえ出来上がっていない。
大ぶりに羽根や翼をかたどったボディーの下描きは出来ているけれど肝心な天使が不在だ。

”天使って、どんな顔してるんだ?”

ポツポツと降ってきたと思ったら一気に雨足が強くなってきたので古い喫茶店の軒下で雨宿りをしていた自分は、頭の中を常にグルグルしている疑問をつい大きな声で口にしてしまった。
雨の音が激しくなり、傘を手に行き交う人たちには聞こえなかったようだ。
まぁ聞こえても無視したいような疑問だろう。頭がおかしいと思われたかもしれない。

この2週間、ありとあらゆる書物や絵画を調べて天使がどんな姿形なのかを探っていた。赤ちゃんみたいなのもいるし筋肉隆々の男や背の高い女性っぽいのや強面の心根が悪そうな奴もいる。
天使って色々いるんだな・・・キリスト教にこれっぽっちも興味がなかった自分にとってはちょっと驚きな発見だった。
あれやこれやをスケッチしてみたけれどどうもしっくりこない。

あの人はどんな天使を思い浮かべていたんだろう。
ちゃんと聞いておけばよかった。会って話したいと思っても彼は久しぶりのツアーで日本各地を飛び回っていて東京にはいない。
あの人にはミューズがいたのだろうか。
精力的に音楽を作り続け、ギターを弾き、ステージで飛び跳ねて、たくさんのオーディエンスを沸かせて虜にしている。
才能とエネルギーに溢れるそんな彼にもミューズはいるのだろうか。

強い雨はさらに強くなり、バシャバシャと足元の水溜まりで殴るように跳ね返ってくるのでズボンの裾が濡れて濃い色に変色してしまった。つま先が冷たい。

このカフェの中に入ろうか。コーヒーを飲む時間はあるのだから。

窓越しに中をちらっと覗くと狭い店内には数人しかいない。
そのほとんどがカウンターに集まっていてアコースティックギターを手にした男性たちが笑顔で手を叩いているのが見える。何か歌っているのだろう。
こちらには聞こえないがギターを掻き鳴らす指先を見ている限りはテンポの良い曲のようだ。

視線を左にずらすと女性が一人見えた。
長く緩く波打つ髪の隙間に白い肌とスッと通った鼻筋がのぞいた。
下を向いて本を読んでいるようだけれど体はややカウンターの方に向いている。
ギターの少年たちの歌を聴いているのだろうか、しばらく見つめていたが手元の本のページは一向にめくられない。

寒くなってきた、やっぱり中でコーヒーを飲みながら雨が止むのを待とう

そう決め、ゆっくりと大きな木製の扉を押して中に入る。
歌を歌っているのだろうから邪魔をしてはいかんと思い、そろそろと音を立てぬよう両手で押した。
だってこんな古めかしい喫茶店のドアにはたいていカランカラン音を立てる鐘や鈴なんかがついてるだろう?

ちょっと顔だけ前に出すと店内のいい匂いがわかる、ちょうど最後のギターがジャン!と鳴ったところだった。
奥のテーブルにいたあの女性が顔を上げ、彼らの方に視線を向けた。両手で拍手をしているような仕草をしているが音は出ていないだろう、指先しか当たっていない。

斜め横から薄暗い光があたり、彼女のうねった髪の毛と白い肌が際立つ。
遠くから見つめていた自分にも彼女のまつ毛が長いことがわかる。彼女はそこにいるのにいないようにそっと存在している。
微笑んでいるのかどうか怪しいほどのささやかな笑みが浮かんでいる。
変な表現かもしれないが、寂しく暗い水に濡れながらも暖かく凛とした聖人のような美しい表情だった。

この人、天使じゃないかな

”いらっしゃい”    カウンターの奥から届く良い声でハッと我に返った。
その声にカウンターの男性たちがみんなこちらを振り向くのをスローモーションのように確かめながら、返事もせず、そのまま後ろ手で抑えていた扉を大きく開けて外に出た。

そして走った。

早く、早く、忘れないうちに、早く、描かないと、忘れないように、ああ、早く

5ヶ月後のある日、ツアーを終えたミュージシャンは小さなカスタムギターの工房に出向いた。
中央にある大きなテーブルに普通よりもずっと大きなギターケースが置いてある。

奥から出てきた若い男性がぴょこっと頭を下げて挨拶をした。
”出来てます、自信作です”


ケースをゆっくりと開ける、ファーストデートのようにドキドキしている。
愛する女性を扱うように優しく、柔らかく、愛を込めて。

被せてあった薄い布の下にうっすらと透けて見えるエンジェルを見て一瞬だけ時が止まった。思わず布の上からかつて彼女にそうしていたようにその頬に手のひらをそっと当ててしまう。もし一人だったら ”帰ってきてくれたんだ” と考えなしに呟いていたかもしれない。

布も取らずにじっとしていたからだろう、作ってくれた彼が小さな声でその感傷を破る。

”いかがですか?布を取りましょうか?”

丁寧に断り、そのままケースを閉じて彼の渾身の作品に感動していること、こんなに素晴らしいギターを作ってもらえて幸せだということを伝えた。

”僕が心に描いていた通りのエンジェルを作ってくれて本当にありがとう”

手にタオルを握りしめていた彼の指先がちょっとだけ緩み、それと同時に口元も緩い笑みが生まれた。

”私、この天使を見たんです、古いカフェで、見たんです、本当に”

ありがとう、と返しながら聞こうかどうしようか迷っていた。

迷いを吹っ切るようにそのままケースのハンドルをギュッと掴み勢いで歩き出したが、一歩進むと片手にその重さをジリッと感じる。

重いのは当然だ、大切なエンジェルが入っている


店の外は夕暮れ。
このギターでまず最初に何を弾こうか。思いを巡らせるが何を弾いても同じかとも思う、心に受ける響きは同じだろう。

エンジンをかけて窓を開けるとまだ玄関口に彼が直立したままこちらを見やっている。

このエンジェル、どこのカフェで見たの?

そう聞いてしまう前に片手を上げて車を出した。



シマフィー



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?