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5ドルで買う夢

帰宅途中、ハイウェイをひとつ手前で降りると小さな中華料理の店を通る道に出る。(アメリカ東で教師をしています)

ゴミを極力出さない生活を徹底し始めてからは、もう外食もテイクアウトもしていないが、この学校で働き始めた当時は何ヶ月かに一度、学校の帰りに中華をテイクアウトすることがあった。
包丁も握りたくない、電子レンジでチンするのもめんどい、パンをトーストするのもだるい、それほどに遅く疲れて帰宅することが多かった頃だ。

その小さな中華は、アメリカではどんなに辺鄙な街にでも必ずあるような、お決まりのメニュー表と(多分どこかに中華料理界を牛耳る親玉が作っているに違いない)同じような量と値段と味の料理を出す、いわゆる”Chinese food"な店だった。"Chinese"はレストランでもファストフードでもない。
日本でいう丸いチャーハンやラーメンや餃子がある中華ではない。
オレンジチキンや、エッグフーヤンや、ジェネラルツォーや、プープープラッターがある"Chinese"だ。
店内で食べる客はほぼいないし、それを期待してないような店構えが多い。
昼から夜中まで開いていて、定休日はない。

メニューはこんな感じ。全米どこのChineseもほぼ同じ

ドアを押して入ると、まず目に入るのが目の前のレジで注文を華麗に捌いている女の子だ。古めかしい受話器を耳にギュッとあて、流暢な英語でちゃっちゃと紙に書き、計算し、何分後に出来上がるので取りに来いと客に告げる。そして奥の厨房で働いている大人に注文の品を大きな声で伝える。

彼女はまだ小学校1年生か2年生だろう。
そして奥の大人はお父さんとお母さんだ。
レジ奥へと続く厨房には仕切りはなく、そこに立ってメニューを見ると必然的に奥のコンロ脇でテキパキと働いている薄汚れたエプロン姿の男女が見えた。

ディナーのコンボディッシュを2種類頼むと、10分くらいで出来上がり、箱に詰められて手渡されるまで、店内の椅子に座りじっと待つ。
懸命に思い出そうとしたが、その店内で音楽がかかっていたのかは覚えていない。
私と同じように店内で待つ人間はいなかったのは覚えている。
大抵こんな店では皆、事前に電話注文し受け取り支払いをするためにだけ店に入ってレジの女の子と2言ほどの言葉を交わすだけだ。

レジの脇には油汚れがついたような古く透明なプラスチックのビンが置いてある。スナック菓子か駄菓子が入っていたのだろう、ラベルがびりっと適当に剥がされてその上から黒いマジックで大きく TIP THANK YOU と書かれてあった。
いつ見てもそのTIP THANK YOU には小銭や1ドル札が数枚しか入っていない。どんな店でもチップを置く習慣があるアメリカ人も "Chinese"ではしみったれてチップを弾むことはないのだ。ファストフードと同じだと考えているのだと思う。実際そこまで大差はない。
ちがうのはマクドナルドは大企業で、こちらは家族総出で働いている店だということ。
私だって "Chinese"でチップを多く置くことは稀だ。大抵お勘定の10%くらいしか入れない。私の注文は20ドルいかないので、入れても1ドル2ドルのことだ。

ひとつのディナーコンボは、タッパーの半分は白飯か極小な具が入っているチャーハンとブロッコリーと牛肉を炒めたものが入っている。
もう一つはタッパーいっぱいに焼きそばが詰められ、脇に小さな春巻きが一つ添えられている。
それでふたつで15ドルほどだったと思う。
厨房で複数の鍋を振り、バタバタとちゃんちゃんと動く大人が材料を準備して、料理して、詰めて、手渡してくれるほかほかの美味しいご飯には安すぎる値段だ。

何度目かに寄った時に、厨房からお母さんが出てきた。
この辺でアジア人を見るのは珍しいので声をかけたのだろう、私が日本人だと知ると驚いていた。そしてこの日本人が中国語を話すのも驚き、奥から旦那さんを大きな声で呼んだ。
その中国語は私が習った北京語ではない、どこか知らない土地の言葉だった。福建省だろうか。
詳しく身の上を語ることはなかったが、彼らたちが苦労しているのだろうというのはすぐにわかった。お母さんの爪はボロボロだったし、お父さんのズボンも靴も穴があいていた。小綺麗な白い三角巾とエプロンをつけていたが、その下は苦労人だった。
その時は中途半端な昼過ぎで、レジの女の子はいなかった。学校なのだろう。
どこの"Chinese"でもそうであるように、子供たちは学校から帰るとすぐに店に出る。
いつもどおりのほかほか15ドルをお母さんから受け取り、”また近いうちに来ますよ、美味しいのでまた来ます” とちょっと恩着せがましいくらいにまた来ると告げた。 TIP THANK YOU にもおつりの5ドルをそのまま入れた。

何ヶ月か後、次に寄った時にはレジの女の子はテーブル席で算数の宿題をしており、電話番は彼女の妹だった。
妹は仕事に徹するプロフェッショナルなお姉ちゃんとは正反対に、注文を待つ私にひっきりなしに話しかけてきた。
私の仕事が学校の先生だとわかると、彼女は自分も先生になってミリオネアになるのが夢だと語った。お母さんは教師はミリオンを稼げないのがわかっているのか背後で大きな笑顔で首を横に振り続けていた。

”メイ、あなたも先生になりたいんでしょう?”

妹に呼びかけられたお姉ちゃんは ”先生は忙しいから嫌” とつれなかった。
私も心の中で ”そうや、忙しいだけやからやめときな” とうなづきながらも、多分あなたたちのお父さんお母さんよりは楽させてもらってる、と申し訳ない気持ちにもなった。

注文の電話が立て続けに来て、妹ではどうにもならず、お姉ちゃんは算数ノートを広げたままにしてレジに戻って仕事を始めた。
その間妹はノートを見ながら私にメイちゃんの計算が合っているのかどうかをひとつずつ確認した。
メイちゃんの宿題は百点満点だ、と告げるとパァッと笑顔になり ”メイは頭がいいから先生になるべきだと思う” と誇らしそうに大きな声で言った。
私に言いたかったのか、メイちゃんやお母さんに聞こえて欲しかったのかはわからない。とても大きな声だった。

15ドルほかほかご飯を受け取り、TIP THANK YOU に2ドル入れてから、ふと思い立ち、私は姉妹二人をレジ台のちょっと下の方に手招きした。

ちょうど財布に5ドル札が2枚あったので、それを一枚ずつ彼女たちの小さな手に握らせた。
”これは、お店のチップじゃなくてあなたたちのチップよ。アイスクリームでもキャンディでも好きなものを買っていいよ。お母さんには私が帰ってから言ってね。”

妹は5ドル札をさっとポケットにしまい、両手で口を押さえてキャーキャー(実際はムーーーームーーーー!)と声にならない叫び声で喜びを表した。
メイちゃんは5ドルを手に持ち、足元を見たまま

”これは大学に行くために貯金する、大学に行かないと先生になれないから” と小さく言った。

やっぱり先生になりたかったのか。

”メイちゃん、先生って忙しいけど楽しいよ。たくさん勉強して良い先生になってね”

バイバイ、と二人に、そして厨房にいるお父さんお母さんに手を振って店を出た。
私がドアを開ける頃には、メイちゃんはもうテーブルに座ってノートを持っていた。妹はまだレジ前で小躍りしていた。


先生って忙しいけど楽しいよ

私の心から言葉だった。自分に言いたかったのかもしれない。
その頃はちょうど難しい生徒たちがわんさかいるクラスを担当していて、どんなに準備をしても工夫を凝らしても授業がうまく行かず、忙しいばかりで楽しいことを忘れていた日が多かった。

気まぐれで渡した5ドルが、本当に彼女に夢の始まりになるなら不思議でありがたく、なんと皮肉なことだろう。
私は教師に疲れた時にしかその店に寄ることはないのだから。


その後メイちゃんと妹に会うことはなかった。
もともと何ヶ月かに一度しか行かないのだから頻繁に会うことは出来なかっただろうけれど、店の前を通り過ぎるたびにあの姉妹は元気にしているだろうか、お父さんお母さんはどうだろうか、と気にはしていた。
次に会議があり遅く帰宅する日は"Chinese"のほかほかご飯を買って帰ろう、と思いながら通り過ぎていた。

そしてそのままコロナ禍になり、ロックダウンが始まってからはあの道を通ることもなくなった。やがて普通の日が戻ってきた時に、ふと思い立ちハイウェイをひとつ手前で降りてみたが、あの店はなくなっていた。
空き店舗のままの暗い店内が駐車場から見え、私はそのまま車を降りずにそこを出た。
メイちゃんの夢の対極にあるような暗い店内だった。

私はまだ忙しいけれど楽しく教師をしている。
妹が想像するようなミリオネアにはなってない。

あの家族がどこかで幸せに暮らしていることを夢見ている。
お父さんもお母さんも本を読んだり音楽を聴いたり自由な時間を満喫し、妹やメイちゃんも放課後はサッカーをしたりピアノを習ったりしているような。

いつかメイちゃんの夢が、それがなんであれ、叶うのだ、と夢見ている。

シマフィー


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