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”過ぎ去りし日々”に思うのは

*2023年6月末、The ALFEEの風の時代・春ツアーの最後の5本に参加するためにアメリカから4年半ぶりに帰国しました。これから少しずつですが35年ぶりに復帰したアルフィーのライブや帰国に関するエッセイを残していきます。アルフィー興味ない人はごめんね。
参加したのは
大宮:6月22日
福山:6月24日
呉:6月25日
名古屋2DAYS: 7月1日と2日 です。



名古屋2日目ファイナルの前夜、私は友人と二人で小さなバーの隅っこでぎゅうぎゅうになりながら飲んでいた。
そのバーまで向かう間に翌日の日替わり曲には何が来るだろうか、と予想しあっていたのだが、何しろ50年分のリストからの選抜なので難しいことこの上ない。色々と二人であれは?これは?と言い合ったと思うがそのどれが来るのもあり得るし、どれが来ても嬉しいものばかり。
1日目にはちょっと意外だった”うつろな瞳”があったことから、本当に何が来てもきゃーーーー!な反応になるのはわかっており、何が来るかを予想するのは”当て”に行くのが快感なのではなく、考えるプロセスで自分達の好きな思い入れのある曲や、今回のセットリストで高見沢さんが伝えたかったメッセージ(あるならば)は何であるか、そしてそれに見合うまだやってない曲は何なのかを話し合うのが楽しいからである。
もちろんアルコン35年ぶりの私は、友人との話し合いなどしたことがないので、予想自体も初体験という興奮があり楽しいことこの上ない。

その時に私は ”ラブレターが来るのではないか” と友人に告げた。
彼女はその再デビュー(1979年)の曲は50周年のライブでやるであろうからないと思う、と即答した。
確かにそうだ、この曲は来年の周年記念ライブには必ずあるだろう。彼女の答えを聞いて私は自分のセトリ予想が単なる”あったらいいな”程度であったことを悟る(笑)。

もちろん私の予想は外れ、”ラブレター”はなかった。
が、思いもがけずそのB面である”過ぎ去りし日々”はファイナルのアンコール後、一番最後に一本マイクで3人が頬寄せ合ってギターと体が重なるほどにギッチギチな密さで披露された。

35年ぶりに参加したライブ(計5本)で私が見たい!と願っていたことのいくつかが叶っている。

1☆   配信・カモンアルフィー6でライブ映像が流れた時に ”春ツアーでもやってくださいね!これ一曲のために帰国します!”と書いたチャットを偶然高見沢さんに拾ってもらった ”組曲:時の方舟” はラッキーなことに毎回セトリにあり、毎回聴くたびに新しい発見があった。私がこの曲を切望した理由は、この曲こそアルフィーがアルフィーである所以の集大成のようなものだと感じていたからだったが、以前書いた自分の考察が粉々に吹っ飛ぶくらいにこれは過去の回想でありながらも、現在〜未来を流れている曲なのだ、と力強い演奏と照明の効果から確信した。
CDとは違う、それが沁みた一曲だった。

2☆ ライブ会場でアル中さんたちと談笑してた時に、何が見たい?と聞かれる度に私は”サファイアの瞳”と即答している。
高見沢さんVoで好きな曲がたくさんあるのにね、桜井さんのベースとボーカルにKOされるサファイアを観れたらいいなぁと思っていた。
ファイナルの日にイントロが聞こえてきた時にはキャーキャー叫んだ(周りも叫んでた)し、隣で高見沢さんを1階10列目から双眼鏡でガン見している母に ”桜井さん見て!!桜井さん!!!”と指示するほどにその瞬間私はガチのマサラーだった(高見沢さん推しです)。サファイアをやる頻度とかはわからないけれど、周りのどよめきからいつもいつもやっているものではないとわかる。それだけでもラッキーだ!と単純に喜ぶ。
そして桜井さんは想像の100万倍最高に男前だった(タメイキ)。

3☆ 私は以前こんなことをSNSに書いている 

4月のことでしたわ

そしてそれに友人は未来を見たかのようにこう返信してくれた

ヘンタイですが愛おしいですw

書いた時、私はコロナ禍以降の有観客ライブではまだ一本マイクで頬寄せ合って歌うという萌え(死語w)な状況が実現していないことを知らなかった。単純にぎゅうぎゅうにまとまってアコースティックギターだけで歌う3人を観たかったのだが、”ぜひ私の目の前で!!”というわがままがファイナルの”過ぎ去りし日々”で叶った。
そしてこれがコロナ禍以来、初の一本マイクで頬寄せ合って歌った曲だったことがわかったのはライブが終わり、出口へ向かう階段をゆっくりと登る途中でMiyukiちゃんを見つけた時だった。彼女が私を見て最初に言ったのが ”一本マイクがやっと戻ってきましたね!(涙でウルウル)"で、その時にそうだったのか、と改めてジーンと来た。

アンコール2 ("See you again")の後、舞台前の中央に一本だけ置かれたマイクに3人が現れギターを鳴らした瞬間、会場の悲鳴がサッと止み、そこにいた全員が息継ぎの音も聴き漏らさぬよう多分自分自身の息もひそめ(私は口を覆っていた)静寂な空間を一瞬で作った。

最後の ”あぁ青春の激しい、情熱も消えて~” からギターが止み、マイクも通さない生声のアカペラで歌う3人はまるで20歳のようで、その一瞬私たちは見たことのない過去に引き戻されたと思う。

桜井さんは幸ちゃんのギターに自分のシャツが当たるのが気になっていて、お腹の部分を押さえながら腰を引き、笑顔で幸ちゃんと高見沢さんを見ていた。
幸ちゃんは桜井さんを気にしながらも大きな笑顔で左右に会場をサッと見渡し、高見沢さんをチラッと見やった。
高見沢さんは始終真剣な表情で、歌に専念しているような、その世界に入り込んでいるような様子で、笑顔の二人を見つめていたような記憶は私はない。
視界に必ず二人が映るような角度で空を見つめていたと思う。
高見沢さんも歌いながら25歳に描いた明日という遠かった日がここにあるのだ、と感じていたのかもしれない。

私のライブ復帰という大きな夢はこの”過ぎ去りし日々”で終わった。

素晴らしい終わりだと思う。まぁどの曲で終わっても素晴らしいのには間違いないけれど、何となく、勝手にこの曲で終えるという意味を大きな拍手をステージに贈りながら考えていた。

時を止めて 目を閉じて あの追憶の中で 涙する余裕があるなら
それだけ明日見つめよう

過ぎ去りし日の熱い想いは 帰らないにしても 明日という未来がいつも
あなたの前にあるから

あゝ青春の激しい情熱も消えて あゝ今はただ一人遠くを見つめている

”過ぎ去りし日々” 作詞:高見沢俊彦

歌詞を心の中で反芻しながら、ライブ復帰の大宮で感じた冷たい雨のような後悔や申し訳なさなどの感情がこの曲で昇華したように思う。

”過ぎ去りし日の熱い想いは 帰らないにしても 明日という未来がいつも
あなたの前にあるから”

前々から言っているけれど、50年続いたバンドに3年前、30年ぶりに出戻ったのは偶然ではなく、私にとっては最高で最適なタイミングだったのだと強く思う(そりゃぁもっと早く戻れれば、という気持ちはあるんですよ)。
これ程長くアルフィーが続いていなければ戻る先はなかったし、思い立って動ける自由と余裕がなければ私はライブに復帰していなかっただろう。

アルフィーは明日という未来をずっと続けてきていて、これからも明日を見せてくれることを約束してくれている。
ライブには私に懐かしい、と思わせた要素はひと欠片もなかった。
50周年を目前に色んな変化・進化を魅せてくれるバンドはそういない、唯一無二って本当だ。

青春の激しい情熱は、この歳に見合ったまた違う情熱に形を変えた

そう確信できたファイナルのファイナルだった。

たくさんの夢を叶えてくれたお三方、そして初めて会ったにも関わらず笑顔で迎えてくれたお友達、会えなかったけれど色んなサポートで夢を後押ししてくれた皆さん、本当にありがとう。

幸せがぎゅっと詰まった、そしてこれからの楽しみを更に大きくしてくれた10日間でした。

シマフィー


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