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自分のトリセツ「意識領域の進化」

意識のマネジメント

量子力学が示す「粒子と波動の二重性」という事実と、フロイトによって証明された「潜在意識」の存在に対する理解を深めていくと、自らが自覚することのできない意識を、どのようにマネジメントするかこそが、人生を成功に導くための方法だということに気が付くことができます。

近年になって、「やり方」よりも「在り方」を問われることが多くなってきたのは、(自覚することのできない)潜在意識の領域を開発するためには、「在り方」からアプローチする他に手段がないということが明らかになってきたからだと思います。

そうなってくると、わたしたちは「在り方」というものをどのように定義すれば良いのか?という課題を突き付けられることになります。

この記事では、わたしたちの「在り方」が目指す方向性として、仏教の「六道」という考え方について触れていこうと思います。

「六道」が示す人間の心の状態

「六道(ろくどう・りくどう)」とは、仏教の世界において、人間の中の状態を表している用語になります。

人間の意識を表す仏教用語『十界論(じっかいろん)』では、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」という六つの世界を「六道」、その上にある「声聞・縁覚・菩薩・仏」という四つの世界を「四聖」と呼んでいます。

人は普通に生きていると「六道」止まりだとも言われているぐらい、この「六道」を抜けるのは容易ではないとされています。

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図:「六道」を表す曼荼羅

わたしたちが「在り方」を考えるうえで、とても参考になる考え方になると思いますので、「六道」について順番にみていくことにしましょう。

「六道」のピラミッド

「六道」のピラミッドを下から順番にみていくと、次の通りになります。

【地獄界(じごくかい)】
地獄は、もともとは「地下の牢獄」という意味で、経典には八熱地獄、八寒地獄など数多くの地獄が説かれています。

地獄界は、苦しみに縛られた最低の境涯です。「地」は最も底を意味し、「獄」は拘束され、縛られた不自由さを表します。

「地獄おそるべし。炎をもって家とす」といわれるように、地獄界とは、自身を取り巻く世界全体を、炎のように自身に苦しみを与える世界と感じる境涯といえます。

いわば「生きていること自体が苦しい」、「何を見ても不幸に感じる」境涯が地獄界です。
参照:教学入門「十界論」より
【餓鬼界(がきかい)】
餓鬼界とは、欲望が満たされずに苦しむ境涯です。

古代インドにおける餓鬼のもともとの意味は「死者」のことです。死者が常に飢えて食物を欲しているとされていたことから、とどまるところを知らぬ激しい欲望の火に、身も心も焼かれている生命状態を餓鬼界と表現します。

飢えて子まで食べるというような貪り、すなわち際限のない欲望にふりまわされ、そのために心が自由にならず、苦しみを生じる境涯のことです。

もちろん、欲望そのものには善悪の両面があります。人間は、食欲などの欲望がないと生きていけないことも事実です。また、欲望が人間を進歩、向上させるエネルギーとなる場合もあります。しかし、欲望を創造的な方向に使えず、欲望の奴隷となって苦しむのが餓鬼界です。
参照:教学入門「十界論」より
【畜生界(ちくしょうかい)】
畜生という言葉は、もともとは獣や鳥などの動物を指します。畜生界の特徴は、目先の利害にとらわれ、理性が働かない「愚かさ」です。

因果の道理が分からず、正邪・善悪の判断に迷い、目先の利害に従って行動してしまう境涯です。

畜生界の生命は、理性や良心を忘れ、自分が生きるためには他者をも害する弱肉強食の生存競争に終始していく境涯です。目先のことしか見えず、未来を思考できない愚かさの故に、結局は、自己を破滅させ、苦しむのです。
参照:教学入門「十界論」より

地獄界・餓鬼界・畜生界の三つは、いずれも苦悩の境涯なので「三悪道」といいます。

【修羅界(しゅらかい)】
修羅とは、もともとは阿修羅といい、争いを好む古代インドの神の名です。

自分と他者を比較し、常に他者に勝ろうとする「勝他の念」を強くもっているのが修羅界の特徴です。

他人と自分を比べて、自分が優れて他人が劣っていると思う場合は、慢心を起こして他を軽んじます。そして、他者の方が優れていると思う場合でも、他者を尊敬する心を起こすことができません。また、本当に自分よりも強いものと出会ったときには、卑屈になって諂うものです。

自分をいかにも優れたものに見せようと虚像をつくるために、表面上は人格者や善人をよそおい、謙虚なそぶりすら見せることもありますが、内面では自分より優れたものに対する妬みと悔しさに満ちています。このように内面と外面が異なり、心に裏表があるのも修羅界の特徴です。
参照:教学入門「十界論」より
【人界(にんかい)】
人界は、穏やかで平静な生命状態にあり、人間らしさを保っている境涯をいいます。

この人界の特質は、因果の道理を知り、物事の善悪を判断する理性の力が明確に働いていることです。

この人間らしい境涯も、決して努力なしに持続できるものではありません。実際に、悪縁が多い世間にあって、人間が「人間らしく生きる」ことは難しいものです。それは、絶え間なく向上しようとする自分の努力がなければ不可能です。いわば人界は「自分に勝つ」境涯の第一歩といえます。
参照:教学入門「十界論」より
【天界(てんかい)】
天界の天とは、もともと古代インドにおいては、地上の人間を超えた力を持つ神々のこと、また、それらが住む世界という意味です。古代インドでは、今世で善い行いをした者は来世に天に生まれると考えられていました。

仏法では、天界を生命の境涯の一つとして位置づけています。努力の結果、欲望が満たされた時に感じる喜びの境涯です。

欲望といっても、睡眠欲や食欲などの本能的欲望、新しい車や家が欲しいというような物質的欲望、社会で地位や名誉を得たいという社会的欲望、未知の世界を知ったり、新たな芸術を創造したいというような精神的欲望などがあります。それらの欲望が満たされ、喜びに浸っている境地が天界です。

しかし、天界の喜びは永続的なものではありません。時の経過とともに薄らぎ、消えてしまいます。ですから天界は、目指すべき真実の幸福境涯とはいえないのです。
参照:教学入門「十界論」より

この「六道」をぐるぐると回るのが、一般的な人間だと言われています。

一喜一憂の状態であって、このような状態での潜在意識は、顕在意識以上に「四苦八苦」と呼ばれるような苦悩にフォーカスしてしまっている可能性が高いと言えるでしょう。

潜在意識がフォーカスすればするほど、波動(可能性)は粒子化(現実化・物質化)していくのですから、成功や幸せとはかけ離れていくことは容易に想像できます。

このような一喜一憂の状態ではなく、より高次の状態を仏教では「四聖」と呼んでいます。

次の記事では、わたしたちの潜在意識がより高次にマネジメントされた状態とも言える、「四聖」について触れていきたいと思います。

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