『東海道中膝栗毛』人物評 喜多八編

およそ一週間ぶりの更新です。今回は、前回の弥治郎の人物評に引き続き、喜多八の人物評をしていきたいと思います。
まずは、漢字で記されている部分をそのままのせます
 起頭是串童
 短陋主児微
 生理李朗駕
 狼漢信歩飛
またも、これだけではなんのことかわかりませんね(笑)
読み下しは
「はじめこれかげま
 いやしくしてかいてくすなし
 なすことたろべいかご
 おさきものあしにまかせてとぶ」
となっています。どうでしょう?これでもまだ、喜多八がどんな人か、なかなかわからないのではないでしょうか。語句を解説していきます。
「かげま」とは「陰間」とも書き、男色を商売とする少年、または少年の俳優のことをいいます。「男色」と聞くと、井原西鶴の『男色大鑑』などを思い浮かべるかもしれません。また、男色を商売にしているわけではないでしょうが、当時は「太鼓持ち」という職業をする人がまだ多くいました。私は朝ドラを見るのが好きなのですが、2007年に放送していた「ちりとてちん」をきっかけにその存在を知りました。これは主人公が落語家を目指す話でしたが、ドラマの中で(たしか36話だったと思う)「愛宕山」という演目がでてきます。その中に「太鼓持ち」がでてきます。落語の中では
「太鼓持ち、男芸者という職業がございますがこれは大変な職業でして、男が男の客の機嫌をとらなあきまへん」と紹介されています。太鼓持ちは戦前までは多くみられた職業でしたが、今ではマイナーな職業となり、浅草に少し残っているだけといいます。お座敷で、男性の客が退屈しないように場をもり上げたり、お酒に付き合ったりしていたみたいです。喜多八も、こうしたことをしていたのかもしれませんね。
かいてはなんとなく予想がつくかもしれませんが「買手」のことです。買い手とは主人のことを指すみたいですが、おそらく雇ってくれる人、と解釈すべきなのではないかと私は思います。ということは、「いやしくて買手すくなし」なので、容貌が下品なので、陰間としてなかなか雇ってもらえないということになりそうです。その続きですが、
「なすこと」は生計のこと
「たろべいかご」は聞き慣れない言葉ですが、働いても働いても結局は一文なしになってしまうことを言っています。
「おさきもの」は諸事にでしゃばる軽率なもの、の意味で「あしにまかせてとぶ」はなんとなく字面から伝わるかもしれませんが、なんでも先走ってしまうということです。
以上のことをまとめると、どうやら喜多八という人物は、見た目が下品なので男色を商売としたり役者には向かず生計を立てるのが難しい。そして深く考えずに突っ走ってしまうタイプなんだな、ということがわかります。私も小学生の頃、担任の先生から「あなたはすぐに突っ走るね」的なことを言われたことがあり、喜多八のように「あしにまかせてとぶ」ところがあるのかもしれません。そして最後、弥治郎のときと同じように喜多八の人物像を表す川柳があります
松竹は かたしかたしと 柳かな
解説をみてみると、「松や竹は正月をことほぐめでたいものだが、儀式ばっておかたいおかたいというごとく、青柳の枝が、春風にしなやかになびいているさま」とのこと。きっと、柳は喜多八の様子を表しているのでしょう。形式張ったことがきらいで、さらにお金もないけれど、やりたいことのためにはすぐ動いてしまう、そんな喜多八の姿がうかんできます。弥治郎のときのように、容貌をからかった歌ではありませんね。(笑)
さて、最後に喜多八のイラストをのせておきます。みなさんはこれをみてどう思うでしょう?わたしはこれをみて、たしかにいろんなことに口をはさんできそうな感じがするなぁ、思いました(笑)
次回もお楽しみに!

た(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?