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なぜ歴史にはまったか①

今までいくつか古典の話などをしてまいりましたが、大事な点を忘れておりました。そもそも何で僕は歴史や古典を好きになったのか、ここを話さない限り、読者のみなさんも僕の素性がわからないままだと思います

・小1以前

まず、僕の出身から紹介しましょう。僕の出身は北海道の小樽市です。「小樽運河」はみなさんもご存知なのではないでしょうか。下の写真は2月に撮影したもので、この時期には「雪あかりの路」が開催されます。コロナの規制も緩み、今年の2月から復活しました。興味のある方はぜひ。

冬の小樽運河、筆者撮影

さて、この写真からみてもわかるように、小樽には多くの古い倉庫があります。明治から大正に作られたものが主で、こうした倉庫はライトアップされると大変美しいですね。
運河は観光スポットですが、僕の住んでいたエリアも倉庫や古い家屋が多い地区で、僕はそうした中で子ども時代を過ごしました。そして、僕の近所には歴史的建造物も複数ありました。
というわけで僕は、

生まれたときから歴史を感じられる場所にいた、と「今では」言えるのかもしれない

今では、と言ったのは、小1以前の僕は郷土史に何も興味を持っていませんでしたし、運河の景色をみてきれいだなぁ、と思うことはあってもその背景の歴史を知ろうなどとは微塵も思っていませんでした。ただ、家の近所に歴史的建造物がある環境を今ではとても気に入っていますし、小樽の街並みも好きなので、小樽出身でいることを今では誇りに思います

しかし、

実際には小1以前の僕は歴史にはほとんど興味がなく過ごしていたというのが事実です。

唯一憶えいるのが、小学校でなにかの機会で6年生の教室に入ったとき、壁に日本史の時代の流れが書かれたポスターが貼ってあるのを見て、「6年生になったらこんなことをやるんだ、大変そうだなぁ」と思ったくらいで、ポスターに書いてあることを覚えようという気にはなれませんでした。時代劇なども一切みていませんでした(小6まで見てなかった)

・小2〜和食との出会い

小2の4月、僕に転機が訪れます。家庭の事情で僕は祖父母の家に引っ越しました。そこから、小3の7月まで僕は祖父母の家にいました
 そして、この時期に僕に決定的な影響を与えたのが

和食との出会いです。

僕の母も料理は上手ですが、やはり普段は忙しいこともあって、なかなか時間をかけて料理をするのは厳しいのだそう。そんな中、祖母は外で働いておらず料理を作る時間がたくさんあったのでしょう、僕に数々のおいしい料理を振る舞ってくれました
 祖母が出す料理は和食が多かった感じがして、魚も多く出たと思います。こういう環境に身を置くことで、それまでは子供らしくハンバーグなど、洋食系の味付けが好みだった僕は、和食系の味付け、料理に順応していくことになります。特に僕は「だし」の味にハマりました。特に筑前煮の、しいたけも加わっただしは大好きで、今でも飲むたびに極楽の気分です
 そして僕は

和食には本能的に癒やされる

と感じました。ハンバーグとかももちろん美味しいし、洋食も今でも好きです。しかし、和食(特におだし)は何か僕の心の琴線まで届くものがある、と感じました。今でもそれが何なのかよくわかりませんが、一つ言えるのは和食は家族で代々受け継いでいる味だからなのかな、とも思います。
 そして僕は、祖母の料理を知る前、和食に興味を持たず、むしろ「口に合わなそう」と退けていた自分が情けなく思えてきました。けれど、テレビのニュースとかで米よりもパンをたべる日本人が増えている、とか和食を日常的に食べる日本人が減ってきている、などという話を聞くようになり、僕は

こんなに素晴らしい和食を、とうの日本人が忘れてしまうなんて絶対に嫌だ

と思うようになりました。けど、思い返してみれば僕も最初は和食に興味がなかった。だから、和食を食べない人自体が悪いのではない、問題はそもそも和食に触れる機会の少なさ、作り方を知る機会がないことだな、と思いました。食べ物の好き嫌いはしょうがない。もしおだしの味とかが嫌いならそれはしょうがないし、その人も何も悪くない。けど、和食に触れたことのない人には、まだまだ僕みたいに和食を大事にしてくれる可能性のある人が眠っているのでは?と思いました。そういう人にどうやって和食のよさを知ってもらうか、、この悩みは今でも続いています
そしてこの気持ちは、

和食を愛する気持ちは、しだいに日本文化全体を愛する気持ちにつながっていく

のですが、それはまた次回、お楽しみに!


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