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子育て罰ってなぁに?~時代の変遷とこれまでたどってきた自分の経験から~

2月18日付のPRESIDENT Onlineで浜田敬子さんが投稿された「子育て罰」に関する記事がとても印象に残りました。
「子育て罰」とは、子育てをする親が、社会や政府から見放されてまるで罰を受けているかのようにママ・パパが感じることをいいます。
わたし自身、子育てを「孤育て」と感じていた時期も経験し、社会に関われない怖さを感じていた時期もあったので人ごとではありません。
具体的にどのような部分が「子育て罰」に感じたのかを、時代の変遷と経験をもとに自分なりにまとめていきたいと思います。

参考記事:子どもを産むと年収が7割も減る…世界が反面教師にする日本の「子育て罰」のあまりに厳しい現状
→https://news.yahoo.co.jp/articles/5fccd157c0f3861d6535d56ea53ec23802d959bb

時代の変遷

バブル崩壊の時代

「男女雇用機会均等法」が施行されたのが1986年。
それまでは「男性は外で働き、女性は家を守る」のが定番でした。
テレビでは核家族の象徴として「父・母・子ども2人」というモデルケースで紹介されていました。
ところが、「男女雇用機会均等法」が施行され、キャリアウーマンと呼ばれる女性たちが増えるにつれ、社会のバランスが徐々に変わりました。

私が就職したのは1993年。ちょうどバブルが崩壊して就職氷河期にあたる時期でもあります。
大卒の女子にとって、面接では腫れものに触るかのような扱いを受けました。

「2、3年の腰かけじゃあ、困るんだよね」
「どうせ子どもができたらやめるんでしょ」

今では考えられないかもしれませんが、当時は25歳で寿退社→結婚、というのが定番でした。高卒で就職した私の友人は23歳頃から「そろそろ?」とプレッシャーをかけられていたといいます。

90年代は通常運転が寿退社。粘っても第1子妊娠時に育児休暇がとれにくく退職、というケースが私の周りには多くいました。
私自身も1999年に寿退社しています。

実は、もう一世代前の時代は、「男子定年60歳、女性定年25歳」という会社もあったのだそうです。これには衝撃を受けました。
70代~80代の方にあたるのですが、今では男女格差が激しすぎて考えられないですよね。


2010年代以降

1999年に寿退社してからまもなく九州に引っ越し、その後15年ほど専業主婦を経験しているため、社会のことはよくわかりません。

2014年に再び東京に戻り、ほどなく派遣社員としてメガバンクに勤めた私。時代の流れを感じるとともに、男女格差はまだまだ埋まっていないと感じました。

90年代は結婚と同時に退職、もしくは第1子妊娠時に退職、というのが定番でした。その時代に比べると、休暇から復活した後の働きやすさは改善されています。

特に私が勤めていた場所がメガバンクということもあり、子育てママにやさしい制度がたくさんありました。

一番感動したのが分刻みの出勤。
子どもが小3までのママは、時短に加え、出勤時間が10分単位で設定することができるという制度がありました。

介護や看護にもやさしく、学校行事にも参加しやすくするために半休制度も充実。これは正社員だけでなく、非正規社員にも途中から適用されました。私自身も学校行事との両立ができるようになり、とても助かりました。

ただ、子育てママは能力がどんなにあっても要職につけない感じがしました。仕事のできる・できないが基準ではなく「〇年勤務」が優遇されていたので、育児や介護がキャリアと引き換えになる印象を受けました。

また、第1子は比較的産休・育休がとりやすいようでしたが、第2子、第3子の出産時には実際には休めるものの、周りに対する申し訳なさがこちらにまで伝わってくる感じがしました。

わたしの「孤育て」時代

私は2000年に東京から福岡に引っ越ししています。
2002年には長女を、2005年に長男を出産していますが、親戚なし、知り合いなしの子育てはまさに「孤育て」状態でした。

特に第1子は早産をし、のちに「頭蓋骨欠損症」という非常にまれな症状で誕生した子だったので、親として、必要以上に神経質になっていました。

唯一頼りになったのが、産院。
今では普通かもしれませんが、産前産後の子育てサークルがあったので助かりました。
このサークルがなかったら、完全に鬱になっていたかもしれません。

そんな私も第2子が誕生したあたりから、外出機会は少しずつ減ってきました。

上の子の手をひいて、下の子を当時流行りのスリングの中に入れた状態での買い物は重労働。当時は今のようなネットスーパーも存在しておらず、もっぱら外出はマイカー。買い物以外の外出はほぼなく、完全に社会から孤立していました。

話をする大人は、連日Amazonの本を運んでくれる宅配のお兄さんと、買い物先のレジのお姉さん、そして夜中に帰ってくる夫という状態が数年続きました。

「このまま私は社会からフェードアウトしていってしまうのかなぁ」
「私、この生活を続けていると日本語忘れてしまうかも」
という、不安な毎日を過ごしていました。

子育てについて何か聞きたいことがあっても、知り合いがいない。
どこに聞きに行けばいいのかわからないし、誰に聞けばいいのかわからない。

聞くとしても、
「こんなこと聞く?」
ていう質問するわけにはいかないし……。
ということが頭の中で延々と回っていました。


大海原にぽつんととりのこされたような気分。

現状の子育て事情

子育てをする環境は年々悪くなっています。
特に、環境面と収入面で厳しくなっているように感じます。

職場環境の悪化

子育てをする環境が全く整っていません。
そして、子どもにやさしくない社会になってしまったと感じています。

例えば職場。
先に述べたメガバンクは大手企業なので子育て環境が整っていますが、中小企業ではソフト面でもハード面でもまだまだ整備不良なところがあります。

産後休暇は取れても産前休暇が取りにくかったり(本人が希望すれば出産日前日まで出勤可ということを逆手にとって、多忙を理由に産前休暇を申請させないようにするところもあるようです)、育休が取りにくかったりします。

産前・産後休暇や育休を申請するときには、上司から心ない言葉をかけられることも。

育休明けに時短を取得する際に、
「あなたの仕事をほかの人がカバーしているんだよ。少しは周りのことを考えて」
と言われるようなことがもしあるのならば、それは子育て罰の一例といってもよいでしょう。

外遊び環境の悪化

私が子育てをしている2000年代あたりから、少しずつ外遊び環境の悪化を感じるようになりました。

例えば、夏場の公園。
水遊びをするときにはしゃぐ子どもたちに対し、近隣住民から
「うるさいから静かにさせて」
「親は何をしているんだ」
と言われた経験があったと知り合いのママ友から相談を受けたことがありました。
これも一種の子育て罰です。

近年では親に言うだけでは済まず、役所や公園近くの学校・保育園にもクレームを入れる方がいるのだとか。世知辛い世の中になってしまったと感じずにはいられません。

このあたりの生活環境も、昭和時代とは異なっています。

私の子ども時代は社宅に住んでいました。
同世代の友人たちと連日外遊びでワイワイガヤガヤ遊んでいましたが、そういうクレームを受けたことは一度もありません。

むしろ、近所のおじちゃん、おばちゃんから
「かなちゃん、いつも元気だねぇ」
という好意的な言葉しかかけられたことがなかったので、外遊びの制約がたくさんある今の時代の子が少しかわいそうに思います。

地方によって違う医療費の負担

子どもの医療費の負担は全国一律ではありません。
地方自治体の財政状況により実質負担ゼロとなったり、少額負担となったり。
負担のない期間も自治体の状況によりまちまちです。

いまは変わっているようですが、以前住んでいた北九州市は、当時小学生になると医療費は大人と変わらない3割負担。行くたびに受けるMRIが毎回7000円近くかかり、毎度ため息をついていたのを覚えています。
ただし、これは通院に限ります。

長女が小4の夏に入院した時は、入院手術代が実質無料でした。
小学生の入院ということで、入院中の3週間、私が付き添い入院をする形となりましたが、こちら側の負担は長女の差額ベッド代と私のレンタルベッド代、そして食事代でした。

かなり大きな手術だったので、我が家としては本当に助かりました。
今でも感謝でいっぱいです。

我が家の場合はたまたま運よく実質負担が軽く済みましたが、住んでいる地域によっては入院費も負担がかかるかもしれません。
できれば国の制度として一律でやっていただけると嬉しいです。

教育費の負担

教育費の負担はかなり重くのしかかってきます。
都内では、正直な話年収1000万円あったとしても子ども2人を育てるのは相当厳しいのではないかと思います。

高等学校実質無償化となって親の負担はだいぶ軽減されたものの、まだまだ厳しい状況は続いています。

世帯収入により支給額も異なりますが、東京都の場合、両親のうち片方が働いている場合は世帯収入910万円、共働きの場合は世帯収入1030万円までが対象で年収1000万円あったとしても共働きでなければ支給対象外。
手取り額は税引き後と考えると、支給されないのはかなりの痛手です。

高校、大学、専門学校など学校だけでなく、塾や習い事、部活などさまざまなシーンでこまごまとかかります。

幼稚園から大学まで子ども1人につきオール公立で1000万、オール私立で2000万かかるといわれています。大学では学部により、かかる費用が異なるので、理系学部はさらに重くのしかかります。

「かかる費用が大体わかっているんだから、20年計画で保険にでも入れば?」
という声が聞こえてきそうです。

もちろん、できる限り備えもしています。

でも、賃金がここ20年上がるどころかむしろ下がっているのです。

私自身、20代と40代で派遣社員として働いていましたが、20代の時の方が断然高い時給をいただいていました。

特殊能力を活かして働いていたことを割り引いたとしても、時給にして300円の差があります。
都内の最低時給も、私が所属していた派遣会社は、当時時給1600円だったはず。でも、今では都内でも時給1350円というところがざらにあります。

地方在住だともっと悲惨です。
九州に引っ越して間もなく、短期間派遣で働こうと思って始めたら、まさかの時給3ケタ!

もちろん、今では最低時給が4けたなのでそういう数字を見ることはありませんが、それでも派遣の営業さんから
「眞島さん、九州では九州料金というのが存在しているので、どうしても時間給が安いんですよね」
と申し訳なさそうに声をかけていただいたこともありました。
アルバイト並みの時給でみんなよく頑張っていますよね。

教育費の負担と世帯収入の停滞。
そして、医療費同様、地域に丸投げしていため支給額もまちまち、と課題山積です。


教育費を捻出するのも至難の業。

現行の子育て制度

現状、国が子育て支援として行っている制度は児童手当と特例給付となります。

現行の政府の少子化対策には、実に75%もの子育て世代の人が期待していません。

【少子化アンケート中間報告】政府の少子化対策には75%が「期待できない」と回答

日経xWoman調査

また、少しでも家計の足しにしようと結婚、出産後も仕事を続けることを選択した家庭が所得制限にひっかかるケースがあります。

助成金を支給されなかったり児童手当が支給されない状況は、まさに「子育て罰」といってもいいのではないのでしょうか。

今後期待すること

政府の子育て対策

令和の子育てモデルは、昭和時代の「働く夫、専業主婦、子ども2人」とは異なっています。「専業主婦」と呼ばれている人は現状では少数派。パートに出て働いたり、正社員として残るなどして、仕事に出ているワーママ(働くお母さん)が多数を占めています。

それでもなお、昭和の家庭モデルが根強く残っているのは、積極的に政府がメディアを通して今の多様化している家庭モデルを考慮した動きを把握していないからだと思います。

今いちど、令和の家庭環境の現状を洗い出してさまざまなケースを想定し、幅広い子育て支援をしていただきたいと思います。

支援は、現金を支給するということだけではありません。

ワーママが、我が子誕生のあとすぐにまず初めにすることは、「保活=保育園探し」です。

いま、地域によっては騒音が社会問題となり、保育園の新設を阻まれているところもあります。

その影響を受け、ワーママや、出産後すぐの就職を目指しているママの保活がうまくいかず、結果として以下のようなケースが生じています。

・職場復帰がかなわず、退職に追い込まれる
・最寄りの保育園が定員いっぱいで入れず、かなり遠い保育園に預けている
・保育園の空きがないので、割高なシッターを雇わざるをえない。
・保育料が高額で、ママの収入≒保育料となる家庭がある。

自治体によってはファミリーサポートなど安価で使える制度もありますが、現状は地域により差があると感じずにはいられません。

国が主体となって令和の子育てモデルを把握し、母親ひとりに子育てを任せることのないような工夫が必要です。

他の家族や地域の人たちを巻き込むことができるよう、制度を少しずつ整備していただけると変わると「山は動く」と思います。

子育てママに対する理解

幼い子どもは、まだまだ精神的には未熟で大人の思いを読み取ることができません。時には場所を考えずに騒いだりすることもあります。

そんなとき、周りの大人が温かい目で見守っていただけると嬉しいです。

今の子どもたちはいろいろな場面で制約を受けています。
公園で水遊びができなくなったり、ボール遊びができなくなったり。
決められたルールの中で遊んでいるので、せめて公園の中ではのびのびと遊んでほしいと思います。

また、公園の中には母親ひとりで子育てをしているママがいます。
なかには疲れた顔をしているママもいるかもしれません。
もしみかけたら、一声かけてあげてください。

私自身も、慣れない土地でワンオペ子育てに疲れていた時期がありました。
ある日、公園で遊んでいる子どもたちをぼーっと眺めていた時、見知らぬ女性から
「子育て、大変よね~。ちょっとの時期だから頑張ってね」
と声をかけられ、救われたことがありました。
難しい言葉はいりません。なにか一声かけていただけるだけで全然違います。

アフリカでは「子ども1人育てるのに600人の大人の力が必要」ということわざがあるようです。母親1人で抱えることのないよう、社会全体で支えあえる制度と世の中になる日がきてほしいと願っています。



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