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【2022年ノーベル生理学・医学賞】3行と300字で簡単に、4600文で詳しくわかる解説

2021年のノーベル生理学・医学賞は、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所所長・沖縄科学技術大学院大学(OIST)教授のスヴァンテ・ペーボ氏(Svante Pääbo)に授与されることが発表されました。

受賞理由は「絶滅したヒト族のゲノムと、ヒトの進化に関する発見(for his discoveries concerning the genomes of extinct hominins and human evolution)」です。


この人は何をしたの?

  • 絶滅したネアンデルタール人のDNAを解析した

  • ネアンデルタール人と現生人類が交配し、その末裔が今の私たちであることを発見した

  • 新たなヒト族「デニソワ人」を見つけた


300字でわかる解説

3万年前に絶滅したネアンデルタール人のDNAは、まるでシュレッダーに掛けられたかのように断片化されている。しかも、他の微生物や、発掘者や研究者のDNAも混ざっている。ネアンデルタール人のDNAを調べることは、「機密文書がシュレッダーにかけられ、他の書類と一緒に捨てられた紙ゴミの中から機密文書だけを復元する」ような難易度である。
ペーボ氏は機密文書を復元しただけでなく、そこには「ネアンデルタール人と当時のホモ・サピエンスは交配し、その末裔が私たちである」というメッセージを発見。さらには予想外に、別の機密文書である「デニソワ人」という別の古代人も発見し、デニソワ人のDNAも私たちが受け継いでいることがわかった。

ミイラに夢見た医学生

ペーボ氏が高校や大学のころに興味をもっていたのは、意外にもエジプト学。医学の道に進んだペーボ氏は、当時盛り上がっていた遺伝子の研究を考古学に活用して、最新の生命科学の技術で昔の人たちのことを知りたいと考えていたようです。

週末と深夜の秘密実験の果てに1985年、ミイラからDNAを採取したとする論文を発表します(正確には前年にドイツ語の雑誌にも掲載)。

ただ、後になって検出したDNAは自分のものが混ざったものであるという可能性を認めていて、この当時から「調べたいもの以外のDNAが混入すること」の難しさと厄介さを味わうことになります。

その後、より人類の歴史を探究したいと考え、ミイラよりさらに古いネアンデルタール人のDNA解析に焦点を当てることに。

ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの関係はいかに?

ネアンデルタール人は3万年前に絶滅した人類の仲間。現生人類は学名で「ホモ・サピエンス」といいますが、ネアンデルタール人は「ホモ・ネアンデルターレンシス」といいます。1856年、ドイツのネアンデル谷から化石が発掘されたことで「ネアンデルタール人」とよばれています。

現生人類であるホモ・サピエンスは今から20万年前にアフリカで誕生し、7万年前にアフリカから旅立ち、ヨーロッパやアジアへ広がったと考えられています。

一方ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスよりもさらに早くアフリカを旅立った祖先が、主にヨーロッパで独自の進化を遂げて誕生しました。ネアンデルタール人がいつ誕生したのかははっきりとわかっていませんが、40万年前あたりと考えられています。

ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の関係

ということは、7万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスは、中東でネアンデルタール人と出会ったはずです。

ネアンデルタール人は当時のホモ・サピエンスよりも体格が大きく、見た目で区別できたと思われます。頭蓋骨もネアンデルタール人のほうが大きいのですが、知能がどうかについてはあまりよくわかっていません。

私が中学生だった1990年代は、ネアンデルタール人は野蛮で知能が低いという説もありました。ただ、その後の研究が進んだせいか、ネアンデルタール人も死者の埋葬や壁画、家畜といった、ある程度の文化をもっていたようだという説が有力です(ただし確たる証拠はなく議論の余地あり)。

ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの両者がどのような関係にあったかは、発掘調査によって化石や出土品から想像するしかありません。敵対関係だったのか共存していたのか。なぜネアンデルタール人は絶滅し、ホモ・サピエンスだけが生き残ったのか。謎だらけです。両者は敵対しており、野蛮なネアンデルタール人は集団行動で勝るホモ・サピエンスとの戦争によって敗れ去ったという説もあります。

ネアンデルタール人がどのような遺伝子をもっていたのか、ホモ・サピエンスと比較すれば、なぜネアンデルタール人は絶滅してホモ・サピエンスだけが生き残ったのか、そのヒントが得られるはずです。

これに挑んだのがペーボ氏です。

シュレッダーにかけられた機密文書を復元する

とはいえ、ネアンデルタール人のDNA解析は並大抵のことではできません。DNAを採取するためにはネアンデルタール人の骨を削る必要があります。ネアンデルタール人の骨は文化的にも貴重な標本。その骨を削るとなると余程の意義や信頼が必要だったりしますが、さらに問題となるのがペーボ氏の過去の経験である「調べたいもの以外のDNAが混入すること」です。

ネアンデルタール人の骨は土の中から発掘されたもの。土の中には無数の微生物が生きていて、そのDNAがすでに骨に付着しています。しかしそれ以上に厄介なのが、採掘者や実験者などの「現生人類のDNAの混入」です。

ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、違う生物とはいえ同じヒト族。ネアンデルタール人からDNAを取り出せたとしても、それが「採掘者や実験者などのDNAが混入していない」ことが大前提となります。

しかも、ネアンデルタール人のDNAは3万年以上の時を経て断片化されており、ただでさえ解析するのが難しくなっています。

これが最初に書いた、ネアンデルタール人のDNAを調べることは「機密文書がシュレッダーにかけられ、他の書類と一緒に捨てられた紙ゴミの中から機密文書だけを復元する」ような難易度と書いた理由です。

ペーボ氏は10年以上にわたり、DNAの抽出技術と解析技術を磨き上げることに。実験室はエタノールや紫外線で滅菌するなど、ほぼ専用ルームといったくらいです。2006年には新しいDNA解析機器である次世代シーケンサーというものが登場し、機器の性能も後押しします。

そして2010年、ついにネアンデルタール人のDNAの解読に成功しました。

https://www.science.org/doi/10.1126/science.1188021

ネアンデルタール人は私たちと交配した

次にやることは、ネアンデルタール人と今生きているホモ・サピエンスの比較です。現生人類のうちアジア人,ヨーロッパ人,アフリカ人と比較すると、アジア人やヨーロッパ人でネアンデルタール人と近く、アジア人やヨーロッパ人のゲノムの1〜2%はネアンデルタール人のものであることがわかりました。

現生人類にネアンデルタール人のDNAがわずかだが混じっている。これを説明するには、ある前提に立つしかありません。

その前提とは「ネアンデルタール人と現生人類が交配した」です。そして、交配して生まれた子どもの末裔が私たち、ということです。

しかも、アフリカ人にはあまりネアンデルタール人のDNAが混ざっていません。このことから、アフリカから出て後、中東でネアンデルタール人とホモ・サピエンスが出会い、両者の間で子どもが生まれ、その子どもたちがヨーロッパやアジアに広がっていったということです。

(両親が合意のもとだったのか一方的だったのかまではわかりません。そのあたりは従来の発掘のような考古学の研究が必要かと)

新たな絶滅人類の発見

さて、ネアンデルタール人DNAの解析と並行して、別のプロジェクトも進行していました。

2008年、ロシアのシベリアにあるデニソワ洞口から子どもの骨が発見され、これを解析すると現生人類ともネアンデルタール人とも違う古代人であることがわかりました。ペーボ氏らはこの古代人を「デニソワ人」と命名した上で発表しました。

しかも、デニソワ人のDNAもまたホモ・サピエンスに受け継がれており、東アジアからオセアニアの地域に住んでいる人のゲノムの1〜6%がデニソワ人由来です。

まとめ

他も含めて、ペーボ氏らの研究によってわかったことは、次の通りです(正確な年代はまだ議論の余地あり)

  • 50万年前にホモ・サピエンスとネアンデルタール人が共通祖先から分かれた

  • 40万年前にネアンデルタール人とデニソワ人が共通祖先から分かれ、ネアンデルタール人は中東やヨーロッパに、デニソワ人はアジアに向かった

  • 7万年前にホモ・サピエンスの一部の集団がアフリカから出て、中東で出会ったネアンデルタール人と交配した

  • そこからアジアに向かったホモ・サピエンスがデニソワ人と交配した

ネアンデルタール人がわかれば「私たち」もわかる

さて、ネアンデルタール人やデニソワ人から何の遺伝子が流入したのか、気になるところです。

これについては、「どの遺伝子が入ってきたかというデータ」はわかっていますが、「その遺伝子が何をしているのか」は実際にいろんな実験をしないとわかりません。なので鋭意研究中ということになります。

でも、ネアンデルタール人からは新型コロナウイルス感染症の重症化リスクや統合失調症の重症化リスクに関わる遺伝子タイプ、デニソワ人からはチベット高地での低酸素環境に住むのに適した遺伝子タイプが入ってきたなど、現生人類の健康に関わるものがあります。この辺りがぎりぎり生理学?かなと思います。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ajmg.b.32872

また、ネアンデルタール人で神経細胞に関係する遺伝子タイプになるようiPS細胞の遺伝子を変えて極小の脳をつくって、神経細胞の数や活動を調べることで、ネアンデルタール人と現生人類の脳構造や機能の違いを探るという研究もあります。

https://www.science.org/doi/10.1126/science.abl6422

なので、ネアンデルタール人と現生人類を比べることで、「より現生人類を知ることができる」ということです。

「自分が何者か」を知ろうと思ったとき、自分のことを調べるのもいいのですが、一番いい方法は「他者と比べて自分ならではの特徴を見つける」ことです。現生人類の場合、チンパンジーやボノボといった類人猿と比較するのも手ですが、やっぱり大きな違いがあります。

その点、ネアンデルタール人やデニソワ人といった「そこそこ似ている生物」と比べれば、「現生人類ならではの違いや特徴は何か」がもっとはっきりしてくるわけです。

そうすると、なぜネアンデルタール人やデニソワ人は絶滅し、現生人類が生き延びたのか、その理由もかなりわかってくると思います。

「人間とは何者なのか?」という根本的な疑問に答えることにつながる貴重な発見ということで、意外ではあったものの個人的にも文句のない受賞です。

Congratulations!

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