鬼子母神 

 大分前の話になるがご近所で親子心中事件があった。一生に一度あるかないか、そのくらい滅多に起こる出来事ではないのでその日のことは鮮烈に記憶に残っている。

 天気の良い日と悪い日が交互にくるようないわゆる季節の変わり目だ。その日は昼間はとてもお天気がよかったのに夕方から天候は悪くなり、帰宅するころには雷雨。そういえば、つい先日も雷雨があり竜の巣の様な雲が空に現れ「ラピュタみたい!」なんて話をきっかけに旧友と近況を交わしていた。その日もまるで台風のような嵐の夜だった。
 仕事も終え、天気は悪いけどそんな日は映画でもみて、お酒でも飲んでゆっくりしようと過ごしていたところ、遠くでサイレンの音が聞こえてきて、徐徐にその数が多くなり騒がしくなった。
「今日はサイレンが多いねー」なんて話していた。いかせん外は雷雨と豪雨で音が遠かった。それから異変に気がついたのは、ふと見た窓の外が赤い光に囲まれ始めたからだ。

「あれ?なにかあったのかな?」
次第にサイレンの音は大きくなりいつのまにか近所の通りは通行止めになり、今までみたことない数の赤い灯りが集まっていた。
主人が「これは事件だな。もしかしたら殺傷沙汰かもしれない」と。輸血車まできていたし、パトカーもすごい数がいる。消防も救急も総出だった。周辺の家もさすがに異変に気づきちらほらと人がでてきていた。
 結局何があったのかは翌日のニュースで知ることになる。

 無理心中だった。
子どもを殺めたあと自分も自殺を図った。帰宅した家族に発見され通報。その後が私たちも目にしたあの光景だった。
 交流こそなかったがまだ愛犬が子犬で散歩で通りがかったときには、近所の子どもたちみんなで遊んでいた。一緒に遊びたそうに、走ろうよ!と誘ううちの犬に「かわいい!」と笑顔で答えてくれたような気がする。

 亡くなった子どもたちの姿を覚えている。
玄関先で虫とり網を持ったお姉ちゃんと、虫かごをもった弟くん。二人であそんでいた。
母親の姿も覚えている。
ゆったりめのワンピースを着て、物静かそうな落ち着いたお母さんだ。
夏休みにはキャンプの準備をして早朝に出掛けて行った。新しい住まい、家族、子ども、幸せなんだろうなと思っていた。
近所もフレンドリーで年の近い子どももたくさんいる。だから余計に何があったのかと思ったのだ。
とはいっても、他人と自分の見えている世界というのはまったく違うものだろうから、その母に起きていることなど、外側からはわからないものだ。

 現場検証、ニュース、噂、ご近所の騒がしさ。落ち着いたころには季節が1つ2つと過ぎていた。
複雑な思いに浸りながらも、家の前の通りは避けるようにしていた。避けてはいるものの気持ち的には気になって仕方がなかったのですが、気にしすぎるのもよくないので動揺が収まるまでは様子、通常の生活を営む。

とはいえ、やっぱり気になるのは仕方ない。
庭に放置された子どものおもちゃ、母親の自転車。生活感がそのまま残っていることが残された家族の虚無感を強く見せる。
時間とともに枯れていく植木。灯ることのない窓。締め切られたカーテン。灰色の世界なのだろう。ダイニングテーブル。リビング。生活感が残り時間が止まっている。
いろいろ気になる。でも気にしない日常を自分はすごそう。なにもできないか、。

そしてもう1つ季節が過ぎるころ・・・

ああ、やっちゃった。もらっちゃった。
気を付けてたのに散歩の途中で察して急いで家に帰った。
主人に、ごめんもらってきちゃったっぽい、とお願いした。いわゆる乗っかっちゃってるという状態だ。久しぶりのお祓いだった。

 遠くを通っても、なんとなく玄関先にお母さんらしき姿を感じていた。育児ノイローゼなのか、何が不満で何が苦しかったのか。
わかるようなわからないような。
 「心中」というのは耳障りが同情的だが私はそれを「殺人」だと思っていた。あまりにも身勝手だ。
「お母さん」はまるで自分のことが見えておらず、呆然としながらも、頑固で固くなで怒りに満ちて震えていた。とにかく固くなで口を屁の字に曲げて、とにかく固い。カチカチのコチコチで体を震わせ、恨めしそうに、陰気そうに視点が定まらないが怒っている。何を聞いても答えない。面倒くさい、身勝手だと思った。
 だけど私は知っている。この頑なさは脆く弱く、自分では溶かしたくてもなかなか解けない。許せない何かがあるのだ。

生きているときに溶かせたらよかったのに。。。

母親の残念は2〜3日かかった。
うちでお祀りしている神仏様のなかなら阿弥陀さんかお地蔵さんが連れて行くのかと思っていたがどうも違うようで、最終的に母親の救いに名乗り出てきたのは「鬼子母神」だった。母親の鬼になってしまった心とその懺悔を引き受けてくれた。まだ苦しさと恨みを抱えていたがやっと涙を流し始めた。少しだけ溶けはじめた。あとはお任せした。 

 鬼子母神さんは日蓮宗のお寺で祈願・供養・法要が行われている。決してメジャーな神仏ではないかもしれないが、母親が「愛」というものに気づく、子ども(命)を育てることを守護されている。

「子育て」というのは昔から沢山の本が出ている。何が正しいとか間違いだとか答えがない。いつの時代もどの世代でも悩みの耐えないものの1つなのだ。

 子への慈悲・愛の芽生え、子どもの成長を喜ぶ気持ちを育む鬼子母神。
美しいばかりじゃない子育ての苦しさや辛さ。虐待、愛せないこともあるのだろう。
 子育てを共感し慰め、励まし、ときに鬼のようになってしまった心も収め、諭し、母親も子どもも守り救ってくれるのが鬼子母さんなのかもしれない。


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