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狐憑き

稲荷さんの名誉に誓って決して「祟り」ではない、ということは先に申しておきます。
そして、現代でいうところの「同一性障害」「離人症」に当たるのでは感じる。
今回は私が体験した狐憑きの話、さらには順序は前後するだろうが狐憑きの2例目、そして創作を交えた奇譚をお楽しみいただきたい。
どちらも記事が出来次第公開したい。

 🔳究極的に心が壊れたときに現れた「できない侍」
 休日に会社から電話が来た。「明日出社したら謝罪してほしい」とのことだった。
理由は、自分がおいた本の場所が所定の場所でなかったがために場が混乱したとのことだった。
「明日出社して対応しよう」と思ったのだが、だんだんとこの違和感と理不尽さが心を蝕んでいた。正直、このようなことは「お互い様」であって自分や周囲も融通のきくような話なのだが、当時はスタッフのトラブル対応の連続で疲弊していたのが、不規則な生活で疲弊していたのかいろいろ疲れが蓄積していたのだと思う。
 友人にちょっとこの事を愚痴ったら「それはおかしいよ」といってくれたのだ。
そのときにはっと我に返れたのもあり、理不尽に屈してしまった自分を認めてしまったらものすごくすべてのことが恐ろしくなってしまった。
「明日、うまくやってこよう」
そう思って就寝した。が。
眠れなくなってしまった。
まったく眠れない。
考えが止まらなくなってしまった。

やばい、やばい、なんか来た。
自分にのしかかってくるなにか。
流れてくるイメージ。

「できない」


「できない、こんなことやりたくない」



「できない」
「できないできないできないできない」


「できないできないできないできないできないできないできないできないできないできないできないできないできないできないできないできないできないできないできないできない」


私は自分で言うのもなんだけどけっこう理性が強いほうなのですが、この理性「自我」と否応なくながれこんでくる「できない」「やりたくない」が分離した。


ああ、だめだ、切り離そう。


そして生まれがのが「できない侍」だ。
侍となったのはあとから夫と当時協力してくれた知人による話だった。

深夜、人格を切り離すことにした私は、完全に意識が分離した。いわゆる「自分が違う自分をみている」という状態。
意識はあるのだけど、行動や動きが自分でない。(ちなみにこの翌日病院です  笑)


状況はというと。
「できないできない」と大泣きして泣きじゃくっている。
通話でなだめられるも、まったく落ち着かず、深夜、本当に夜中ですよ。
大声で泣きわめいておりました。
こんな状況にあらゆる手段を講じまして。怪しい話になるのでご要望があれば記事にしますが、怪奇譚のほうでお楽しみいただけたらと思う。


結局、侍の人格を引き出し供養をし、引き出すついでに出てきたのが、おそらくだけど伏見の稲荷さんだ。「先生、それはやっつけちゃだめです!祓わないでください」と知人がとっさに入った。


これがまた、自分なのに自分ではないのですが。妙な柳腰でしなやかで艶っぽい「何か」です。
そして、豊かな尻尾を大きく降りながら関西の方言でこんなことをいう。


「この子は弱いからなぁ 休ませてやってな。もう限界きてますわ」


としなやかに言うのだ。(自分の口でね)
そのときの自分の意識はというと、やっぱり自分を遠くから眺めてる感じ。
なんかこう柔らかいあったかい毛皮にくるまれてよしよしされて、盾に守られてるようなね。


いつのまにかプツンと眠りについて、翌日。
仕事行かなくちゃな、ともうろうとしていた。
しかし、やはりすべてが恐ろしくなってしまって、また泣きじゃくってしまった。

「いきたくないならいかんでええんや」

と。そしてまた、その狐さんが表にたってくれたのだ。

「先生、それたぶん伏見の稲荷さんです。彼女を守ってくれてるんです。」

社会人ながら、お恥ずかしい話ですがもう錯乱状態がひどくて主人に会社に電話をしてもらい、狐だの侍だの頭がおかしくなってるので即日精神病院にいきました。

カウンセリングでは、「隠さないでそのまま話そう」と決めてカウンセラーに話をした。
先生にも今の状況をありのまま話した。

「あなたはあなた自身ですよ」といってくれた言葉で理性を保った。
私は私だ。離れてはいけない。

それからはいいわゆる、「うつ病」の克服に向けて問題の解決、自身と向き合うことに苦悩した。
精神疾患は迷信ではなおらない。
精神疾患の人は「事実を認知できない」のが障害になっている。
事実を受け入れることは勇気がいることだけど恐ろしいことではない。

でもね。
狐憑き=離人症になるのは、「自分では解決ができない」からの逃げでもある。
その逃げが本人の命を守る防衛本能のようなものなのです。

一昔前までは「狐憑き」なんていって、まるで人が変わったように話し方や態度、顔つきまで別人になってしまったんだ、という話をききますが「狐憑き」は防衛本能による機能であるとも言えるのではないかと思う。

その人格がいなければ「自分を出せない」のだ。言いたいことが言えない。勇気がでない。
そのような姿なのだと思ってほしい。

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