母が亡くなりました

その日は突然でした。朝薄暗い時間にケータイが鳴っているのに気づく。寝室に持ち込まない生活にしているので、本当に微かな音が聞こえる程度。
電話に間に合うことが出来ず履歴を見ると姉から2回のコールとラインが入っていた。「お母さんが亡くなりました。」

慌てて折り返すと姉は既に病院に到着していた。僕が姉の電話に気づいたのは初めのコールから1時間後とその時に気づく。

母は入退院を繰り返していたのだけれども、今の病院に入ったのは2016年頃。だから今年で8年目。胃ろうもあり栄養は十分。更に適切な室温と湿度に囲まれた環境では、いつも肌艶が良かった。
だから「母より僕らの方が先に逝くんじゃないか」なんて冗談を姉とは交わしていた程で、亡くなるとは思ってもいなかった。

気持ちを落ち着かせる様にシャワーを浴びてからクルマで母の病院へ向かう。距離的には1時間程度だけれども、姉と連絡をとってから到着まで2時間経過していた。丁度葬儀屋さんの到着と同じタイミング。

葬儀社との打ち合わせを終え、霊安室で対面した母はひとまわり小さく見えた。でも髪も肌も艶も血色も良く見えた。
その日は病院の職員の方々20名くらいに見送って頂き、母は葬儀社のホールに向かった。本当にお世話になりました。

その日は姉の家で葬儀の準備に関する軽い打ち合わせ。次の日に葬儀社と打ち合わせの予定。

母が亡くなって葬儀までの間でこの日記を書いている。
火葬場のタイミングで7日間空いてしまった。この時間がどうも苦しい。

葬儀の段取りは決まっている。外注する手配関係も既に終えている。出席者の連絡も受けて人数も見えてきた。その状態で実家から離れた僕に出来ることがあまりない。
だから仕事に向き合おうとするのだけど、どうも集中力が続かない。打ち合わせはこなせるが、議事録や提案書のまとめまでは出来ない。なんとも不安定な精神状態の様だ。

母の死に対してどう思っているのか。自分が一番わからない。
感覚としては「悔しさ」と「脱力感」かな。
母が入院している時、お見舞いに行くと嫌な顔をすることが多かった。僕のことが嫌なのか、父を思い出すのか。(父を思い出して嫌な気分になられるのも複雑だが)。それをされるのが嫌で、母のお見舞いの頻度が少なくなっていた。実際コロナのタイミング以降行けていなかった。
会わないのは会いたくないからではなくて、会わないけど「生きている」のがどこか当たり前だったから。

会わないけど生きてる。その感覚がとても長かった。
だから亡くなった実感もあまりない。顔は見ているのだけど、なんか母という実感がいまいち無いのかもしれない。
だからこうしてnote.を書いている。書きながら言い聞かせているんだと思う。

母は亡くなりました。

沢山の手術を受けて、何度も復活し、何度も病院に戻ったけれど、それは凄いことだと思う。運も良いし、身体も強い。父より長生きしたしね。
父は77歳。母は78歳。

お疲れ様でした。
明後日、葬儀です。しんみりするよりも、明るく送ることが出来ればと思っています。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。