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ウズベキスタンの桜

 豪雪だった今年の冬も終わり、雪国・秋田にもそろそろ春の兆しが現れる頃。この原稿を書いている3月下旬の東京では、例年より早く桜が満開となった。調べてみると、秋田市でも例年より1週間ほど早い4月11日頃の開花予報となっている。

 桜は日本では春の訪れを象徴する花だが、実は海外にも桜の名所が数多くある。そのひとつがウズベキスタンの首都・タシケントのナヴォイ劇場と日本人墓地、中央公園の桜並木だ。
 第二次世界大戦終戦時に、約60万人ともいわれる日本人が、シベリアを始めとする当時のソ連各地に抑留された。その中で、ウズベキスタンでの労働に従事した人が約2万5千人。特にタシケントにあるナヴォイ劇場建設に携わった日本人457人の話は、ウズベキスタンで、日本人の勤勉さや作業に対す真摯さを伝える「伝説」のようになっている。

 当時ソ連は、レーニンによるロシア革命から30周年の1947年に合わせて、オペラやバレエを上演する壮麗豪奢なナヴォイ劇場の完成を目指していた。建築技術に通じる日本人捕虜をその仕事に関わらせ、完成を急がせたというわけだ。
 1966年4月25日、タシケントを大地震が襲った。市内の多くの建物が倒壊したがナヴォイ劇場は無傷だったため、避難場所として使用された。日本人がすべてを建築したわけではなかったのだが、この地震で「ナヴォイ劇場は日本人が建てたから大丈夫だったのだ」という話が広まったことが、伝説のきっかけだったらしい。日本人捕虜が、建築作業中、多くのウズベキスタン人と友好的に接していたことも、伝説を後押しした。

ナヴォイ劇場の一角には日本人が建築に携わったこことを伝えるプレートがはめ込まれている



 それゆえウズベキスタンの人々はひじょうに親日的であり、戦後、日本への帰国がかなわず亡くなった人々の墓地を大切に守ってくれていたのだ。当時、ソ連からはほとんどの墓地を更地にするよう指示があったが、ウズベキスタンの人たちは自分たちの意思で墓地を守り抜いてくれたのだという。
 しかし長い年月の間、いくつかの墓地は荒れ果ててしまった。2001年、当時駐ウズベキスタン大使であった中山恭子氏の働きかけにより、各地の墓地の整備が行われることになる。日本で墓地整備のための募金活動が行われたのだが、ウズベキスタン政府は「日本との友好関係の証として、墓地の整備は自分たちが行う」として費用を受け取ることなく、各地にあった日本人墓地をきれいに整備してくれたのだ。

 2002年、ウズベキスタンの好意への返礼として、募金で集まったなかから、ウズベキスタンの学校へ教育用PCを寄贈。さらに祖国に帰ることなく亡くなり、それらの墓地に眠る人たちに日本の春の象徴である桜の花を見せてあげようと、植樹も始まったのだ。各地の日本人墓地のほか、タシケント市の要望に応えて、日本人に関わりの深いナヴォイ劇場周辺、そして日本庭園のあるタシケント中央公園に、合わせて約1300本の桜が植えられた。

 2年ほど前、桜の時期ではなかったが、ナヴォイ劇場や日本人墓地、中央公園を訪れた。桜の木は植樹されてから20年近く経ち、幹もだいぶ太くなっていた。きっと春には美しい花をたくさん咲かせるのだろう。その様子を見てみたいな……満開の東京の桜並木の下を歩きながら、そんなことをふと思った。

初出:秋田魁新報土曜コラム『遠い風 近い風』2021年4月3日(一部加筆修正)

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