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【ショートエッセー 神戸新聞文芸 202201】十二月十二日の逆さ札の謎解き ※落選作

 上方の風習の一つに「逆さ札」がある。 名前の通り、十二月十二日に「十二月十二日」と書かれた札を上下逆にして玄関に貼っておくというものである。
 
 一説によると十二月十二日は天下の大泥棒・石川五右衛門の誕生日で、それを上下逆さに書くと命日――文禄三年(一五九四年)八月二十四日、京の三条河原で釜煎りの刑に処された――を表す。 この逆さ札を玄関などに貼っておくと、それを見た泥棒は石川五右衛門の命日と末路を思い出し、盗みを諦めるというのである。

 しかし、十二月十二日が石川五右衛門の誕生日だという説に疑問を抱いていた。 いくら石川五右衛門とは言え、世の泥棒が他人の誕生日を知っていたとも思えない。石川五右衛門の誕生日が十二月十二日というのは後世の創作だろう。

 なぜ十二月十二日でなければならないのか。調べているうち、翌日の十二月十三日が新年の準備を始める「新年事始め」にあたり、これには宿曜術という月の占星術が関係しているらしいことをつきとめた。

 宿曜術では月の運行区分を「宿」と呼び、二十七宿あった。 そして十二月十三日は必ず「鬼」の宿にあたった。 この日は婚礼を除く諸事に大吉なので新年の準備を始めた。その前日の十二月十二日は「福財宿」とも呼ばれる「井」の宿であり、ただでさえ泥棒に入って欲しくないのにこんな日に財産がなくなるような目に遭わされては実害に加えて縁起まで傷つけられて大変よろしくない。

「うちにはお金はありませんから入るだけ時間の無駄です。明日から新年の準備もしなければならないし、今晩ばかりはご勘弁ください。それに縁起においても、この日に盗んだりしたら金がたまらなくなりますよ、死ぬまで泥棒稼業から抜け出せませんよ」というメッセージを泥棒向けに出したい。うなぎ屋が夏になったら「土用の丑の日」の札を掲げるようなものである。

 さて、井戸の水のように金が貯まっていく意味の「井」を上下逆さに書けば反対の「文無し、貧乏」の意味になるが、「井」の字が対称であるうらみで、上下を逆にしても「井」のままになってしまう。そこで、「井」を「十二月十二日」に変換して上下逆さまにした。

 もちろん、世の泥棒は宿曜術など極めていないだろうし、全員が迷信深いわけでもないだろう。盗みは縁起のいいときではなく、盗めるときに盗むのが鉄則である。しかし、今も昔も、どんな職業でも、情報収集能力や情報分析能力の有無が事の成否を分ける。デキる泥棒は、盗みのターゲットに選んだ屋敷に貼られた「逆さ札」の意味を、町の物知りや占い師などにそれとなく聞いて回っただろう。そして十二月十三日に新年の準備をするものだという情報をつかんだことだろう。その前の日、十二月十二日の晩は家人がその下準備のために遅くまで起きている、あるいは翌日十三日はいつもより早く起きるであろうことは容易に想像できる。盗みをはたらくには時間が短すぎる。わざわざひとに見つかって捕まるリスクの高い日を選ぶこともなかろうと、デキる泥棒は十二月十二日の晩に盗みを働く粗忽をしなくなる。そういった、当初は一種の紳士協定のような合理的な事情が、時代が下るにつれ忘れられて形骸化し、風習になった。
――以上がわたしの説である。

 この説が正しければ、逆さ札を提唱したのは宿曜術の専門家――町の占い師だと推測される。 度重なる盗難に悩まされた商家の相談を受け、まじないとしてやってごらんなさいとアドバイスした……

 「逆さ札」の風習が生まれた時期も推測できる。なぜなら宿曜術の二十七宿の区分法は、貞享二年(一六八五年)に渋川春海による貞享暦へ変わったのに伴い全廃されたからである。以後、宿曜術では二十八宿の区分法が用いられ、その結果、十二月十三日は必ずしも「鬼」の宿に当たらなくなる。

 「逆さ札」が生まれたのは、貞享暦が制定された一六八五年よりも前だろう。

 と、ここまで書いておいて何だが、こういう古い風習はあれこれ穿鑿しない方がいいかもしれない。 由来が分からないからこそご利益もつくように思う。 「何でかはよう分かりませんけど、むかしからのしきたりですし、やっときましょうか」の方が風雅な気もする。

(終わり)

※著作権は作者・本木晋平にあります。無断での引用・複製を固く禁じます。

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