見出し画像

思い出は、さよならしたくなくて。

PARCOのお葬式に行ってきた。

というのも、2024年2月29日をもって閉館した地元のPARCOの話だ。私と同じ1983年6月に生まれ、その生涯を終えた。感謝を伝えに向かった。

創業当時のお写真


いわゆる都市型の駅直結の綺麗なPARCOでなく、独自路線のPARCOだった。

実家を離れた今でも、帰省の度に娘と母はPARCOで映画を観たりして過ごした。

PARCOで孫と楽しそうに過ごす母は、私にとって「幸せ」の象徴だった。

私が子供の頃、とりあえずPARCOに集合し、流れる雲と西武線に乗る人々を眺めた。PARCOの前で「また明日」と友に手を振り、自転車を漕いだ。こんなに早くPARCOに会えなくなる日が来るとは想像していなかった。

PARCOへの感謝が綴られた特設コーナーに、たくさんのメッセージがあり、ひとつひとつに目を通すと涙が溢れてきた。私と同じ様にこの空間を大切に想う人がいる事が嬉しかった。

特設コーナー


街は資本主義の渦に巻き込まれ、また景色を変える。新しいことが正しく、豊かであるという価値観は収益性を重視し、退屈な街へ加速する。
頭では理解ができるものの心がついていかない。

あの頃の悩み、あの頃の汗と涙、出逢いや別れ、友の死を乗り越えた時間が蘇る。

PARCOはあの頃を生きたみんなの記憶だった。

クリスマスの夜に1人で映画「タイタニック」の上映に並び、泣きながら映画館を後にした記憶が甦える。

愛された場所だと分かる
大切な思い出
解体されるPARCO


タイタニックにこんなシーンがある。
年老いたローズが沈没船から引き上げられた数々の遺品を見て、当時の記憶が甦り始める。

そしてタイタニック号で起きた事を語り出す。

幸せな記憶に包まれ、ローズは天国に旅立った。ローズの記憶の中で、タイタニック号は色鮮やかに甦り、いつもジャックと待ち合わせをした時計台の下へ向かう。

周りには天国へ旅立った当時の仲間達。
ジャックが振り返り、笑顔で迎えられるというシーンが印象的だった。

空間と記憶はリンクをする。

生きている中で、私達の記憶は街の景色に染み込んでいく。しんどかった頃に過ごした街を訪れると胸が苦しくなり、あの頃の自分が居るような錯覚に陥る。

PARCOはみんなの「幸せ」が染みついた空間であった。

私も天国で地元の仲間と再会ができるとしたら、またPARCOで待ち合わせをしようと思う。

今は生きていない同級生や、一緒にボールを蹴った仲間や、今じゃ連絡も取らないあの頃の仲間と

「相変わらず何もねーな」と笑いながら
豊かな時間を過ごしたいと思う。

テラス席からの眺め
陽の当たる階段
ありがとうフレシノ
PVに使ってくれ、最後ライブをしてくれた
KID FRESINO

そう考えてみると、新所沢PARCOは私の胸の奥深くに、沈没船のように残り続けるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?