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道 003 進学

漫画研究部か少林寺拳法部か。
今思えばなかなかな究極の選択です。

結果的にその選択が、その後の人生に大きく影響していきます。

あれほど憧れた漫画家でしたが、手や体が上手く描けず、画力的に難しいと判断し別の道にすることにしました。

小説家です。
絵はなくても、同じように人に夢や感動を与えられると思ったからです。
幼い発想ですが、当時は真剣でした。

さて、少林寺拳法部に入部し、高校2年生の頃には部活が終わってから地域の道院(少林寺拳法では、道場のことをこう呼ぶ)にも通うようになりました。

少林寺拳法の試合は、空手の組手のように強さは競いません。
「演武」という形式で、1分半から2分の間で自分たちで構成を作り、四角いコートの中で2人1組で戦いの演技を行います。

攻撃がわかっているので防御できますが、技の精度やスピード、力強さなどが審判によって採点されるため、本気で突き蹴りを行わなければならないというものです。

自分には残念ながら武の強さのセンスはありませんでしたが、演武という世界では花が開きました。

高校の大会や、各道院や大学生が出場する大阪府の大会で、何度か入賞することができたのです。

そんな高校2年生のある日、全国の大学が紹介された分厚い冊子を手にします。
そこで見つけた外国語大学の紹介ページに目が留まりました。
初めて名前を知った大学でしたが、一目ぼれしてしまったのです。
「この大学に行きたい!」

担任の先生に伝えたところ、
「一浪しないと行けない」
と言われました。

それでも自分はその大学に行きたいと思いました。
英語の勉強はきちんとできていなくて、中学レベルの文法もままならない状態でしたが、思いだけが強くなっていきました。

学力が伴わないのでとにかく不安しかありませんでした。
そんな自分に祖父が言ってくれた言葉を今でも忘れません。
「自分で決めるな。祈れ(強く願えという意)。」
本当にその大学に行きたいと強く望むのなら、自分で可能性を決めず天命にまかせろと背中を押してくれるのです。

すると不思議なことが起きました。
高校3年生になったある日、部活の顧問の先生から、スポーツ推薦でその大学の短期大学部を受けられることになったという話が出たのです。
歴代の先輩たちにはなかった話が、突然自分たちの世代に浮かび上がったのです。

部から自分を含めて4人のメンバーがスポーツ推薦枠で受験することになりました。

受験科目は英語と小論文。
経緯を覚えていませんが、小論文に向けて国語の先生が作文の作り方を授業以外で個人的に教えてくれることなりました。
何度も添削してくれ、起承転結に分けて文章を作成する方法を教えてくれました。
この時の経験、訓練が、その後に活きるようになります。

頑張ってできる限りの勉強はしたものの、学力が高い高校ではなかったので、先生たちから「4人落ちても4人受かることはない」と言われました。
でも、結果は晴れて全員合格。
合格発表日、休み時間に校内の公衆電話から自宅に電話し、母から「合格通知が届いたよ」という言葉を聞いて、「やったー!」と叫んだのを覚えています。

希望の4年制ではなかったけれど、短期大学部でも頑張れば3年編入できるため、精一杯やろうと決意しました。

高校入学当時、漫画研究部を選んでいたら決して選択肢のない未来でした。

一見つながりのなさそうな
・漫画
・少林寺拳法
・一目ぼれした大学への進学
が、その後の人生に大きく影響し、自分をテーマパークやビジュアルシンキングの世界へと導いてくれることになるのです。

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