小学校とかラムネとか語彙とかそのたぐいのもの



 今はもう冬休みになってしまったが、先日、平日の夕方に普段通らない道を歩くと、小学生がたくさん下校していた。親や教師に言われているのだろう、きちんとマスクをして、それでも元気そうに帰宅しようとしていた。

  彼ら彼女らを見ていて、ふと小学生のときのことを思い出した。

 あるとき、唐突に、クラスメイトにどんなお菓子が好きか尋ねられた。
 これは何か含意がある質問ではない。正確な理由は覚えていないのだが、おそらくアンケートをとって壁新聞のネタにでもするか、あるいは次回の遠足で一体どんなお菓子を持ち寄って交換するかの計画を立てるためだったのではないかと思う。

 ふむ、と私は考えた。

  小学生が食べるようなお菓子ならば、辛いもの以外ならだいたい問題なく好きである。
 だが一つあげろと言われたので、私はラムネと答えた。某大手製菓メーカーの、透明な緑色の容器に入ったあれを想像していた。錠剤のような見た目で、時折顔の描かれた粒が入れられているラムネである。
 

 だが尋ねてきたクラスメイトはピンとこなかったのか、どんなものかとさらに質問を重ねる。

 私は細かく指定するのも面倒になって、「ラムネとかそういうたぐい何でも」と応じた。

  この「たぐい」が伝わらなかった。

 彼は何度か「たぐい」という言葉を聞き返し、私は私で「知らないのか」と困惑した。その後、彼は「お前、なんか古い言葉使うよな」と私を評した。

 私にとっては驚きだった。ことさら長くややこしい意味の単語ではなくとも、相手が知らなければ伝わらないのである。言語の文法が一致しても語彙が一致しなければうまく話せない。

 同時に私は寂しさも抱いた。最初に聞き返されたときにすぐに応じて説明していれば、伝わらなくなることはなかったのではないか? 彼が知らなかったことよりも、私が「知らないのか」と反応したことが悪かったのではないか?

 当時、彼が不愉快になった様子はなかった。それでも、この出来事を思い出すたび、人に話すこと、人と話すことの難しさに思いを馳せてしまう。 


#エッセイ
#言葉
#思い出
#コミュニケーション

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?