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こい

『暑い』
 彼からメールが来る。LINEでもショートメールでもないcloud経由でのメール。たったの2文字。されど2文字。このメールだけであたしは向こう3日だけ浮きだった気持ちで生きていける。
『熱中症に気をつけて』
 なんて殊勝な返事なのだろうか。そのあとに『あいたくて吐きそう』あるいは『あいたくて狂いそう』などという文面を付随させることは彼の眉間にシワを寄せるだけだ。そんなことは知っている。だから軽い感じでメールを返す。彼が読んで不快にならないさらっとソーメンみたいなメールを。
 1ヶ月前にあったきりでそれもなんとなく8ヶ月ぶりにあったわけでそれまで半ば諦めていたのにさらに奥深く好きを確認してしまい毎日彼をどこかの部分で思い出す。
 決してあたしのことは嫌いではないけれど以前のような情熱もなくただタイミングさえあえばヤレる女。都合のいい女としか見ていないことなどとっくにわかっている。

「そのさ、扇風機がついたベストって実際どうなのかな?」

 やや膨らんだ身体をしている彼に質問をしたことを思い出す。彼はあ、これって感じで扇風機のベストに手をやりながら、まあ暑さはしのげないよ。けど中(身体)で風が巡回してるから汗でベトベトはしないかな。と微笑む。へー。そうなんだ。感心していると、あ、これがバッテリーだよ。と内ポケットから小学生のこと使っていたカンカンの筆箱くらいの大きさのバッテリーを見せる。

「何時間持つの? そのー、回っている時間」

 気になったので問うと、んー、首をかしげながら、5時間くらいかなぁといい、けどよくわからないなぁと付け足す。なにそれ? あたしたちはたったそれだけのことでクスクスと笑う。

 扇風機付きのベストを着ているおもての仕事をしている人を見ると彼を真っ先に思い浮かべる。そんなことも話したなぁ、とか。そういうの。あたしの頭の中にいつも勝手に住みついている彼。家賃は要らないからただあって抱きしめて欲しい。それだけ。
 あって顔をみて抱きしめる。使用時間はたったの3分で済むことなのにどうしてそんなにむつかしいのだろう。あえないのだろう。わがままをいえないのだろう。

 彼はなんで独り身ではないのだろう。誰かのものだからこんなにも遠い存在なのだ。あうこともままならないのになぜいまだにこんなにも彼に夢中なんだろう。あたしはこの先もずっと彼に片思いだし彼の存在に揺れ動く人形に過ぎない。『恋』は素敵なことだけどときに『恋』は『変』になり『狂』に変わる。辛い苦行なら始めなければよかったのに気がついたときにはもうすでに『変』あたりになっている。

『あいたい』と彼にメールを送るも想定内に返信はない。ないのに待っているあたしはやはり『狂』だ。


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