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【映画の感想】『窓ぎわのトットちゃん』を観て、『戦場でワルツを』を思い出した

『窓ぎわのトットちゃん』を観た。


映画、窓ぎわのトットちゃんを観てきました。
ところどころ、めちゃんこ美しいシーンがあった。

3つほど『イメージアニメーション』という絵本の世界のようなものが挿入されて、それぞれが作家さんへの外注アニメで(まどマギの魔女シーンを『劇団イヌカレー』さんが描いてるような感じ)そこがとにかく見応えがあり、また絵本の元ネタもありそうなので調べたくなった。

アンクル・トムの小屋の「魂を飼うことはできない」、からの悪夢でゴスペル『Deep river』が流れるところとか、ヤバくない???? あれ良かった

昔NHKの教育TV お話の国で〝パンを踏んだ娘〟を観て、しばらくトラウマになったことを思い出した。(美しすぎてトラウマになることあるよね、いい思い出。)(あれは〝劇団かかし座〟さんのアニメ作品。)

劇団かかし座 パンを踏んだ娘



かなり児童書や、『芸術自由教育』へのリスペクトがあるんだろう。(今たまたま北原白秋や赤い鳥について調べているところだから、うおーーと思った。)
リトミックもしっかり調べていそうだった。リトミックで遊んでいるときの子どもの動き、教える目的や狙い、それをちゃんと表現しようと挑んだこと、すごい。




画面を見ていて途中でピンときたんだが、キャラクターデザイン自体がかなり『コドモノクニ』とか『キンダーブック』のような戦前の児童画を参考にしていた。


たまたま最近読了したところだった本


だから独特な目元なんだろうと思った。べつに子ども(特に男の子)を艶かしく描こうとしているわけではない、元ネタがある絵だあれは。

ギリギリ悪趣味になるか美しいかの、瀬戸際のところを攻めていた。
写実的すぎるとケレン味が出ていやらしくなるが、それをよく分かっている人がギリギリを攻めた感じ。
私は結構好きだ。
(まぁでも、前提をいろいろ知らないと、ギョッとする人はいるかもしれない。)


とにかく戦前戦中の教育の様子や、表現したいと思われる絵的な世界観については熱量がハンパなくて、一見の価値があったなと思う。

児童書や絵本が好きな方は興奮するだろう。
あと、文部省唱歌と童謡も。

『犬』『うぐいす』あと、戦時歌謡の『海ゆかば』など。

『日がくれた』は童謡なのかな? いやオリジナルかな? とにかく最高だった……。



わらべうた、も、ちょこっとあった。

あの、替え歌! 
『トモエ学園 変な学校〜🎵』と、からかい唄をぶつけられてケンカになりそうなところで、
『トモエ学園 いい学校〜!🎵』と皆でとっさに歌い返して、結局おいはらっちゃうところ。良かった😭✨

子どもにもああいう〝気圧される(けおされる)〟っていう感覚があるところ、よく分かる。
気迫なんだよな。あの堂々とした替え歌の力。笑
あれこそ子どもの自発的なエネルギーだよな、忘れないでおきたい。
(悪口唄やからかい唄こそ、気迫の差が出る。しかもあれは大人が教えようと思って教えることはできない。子どもが環境から受け取って、子ども自身でつかみとる唄だ。)



特定シーンの劇的な演出はちょっとどうなのかなと個人的には思った。(友達の死から、戦時の光景的なショックに繋がるところ。トットちゃんの動揺としてはまさしく画面のとおりで、この時代の動揺として全てが混ぜこぜになっていて全てが悲しいんだろうけど、児童合唱までつかって揺さぶる演出はどうなのかな。私は作り手側の『悲劇への陶酔』が見える気がして、少し引いてしまう感覚があった。)

それでも子ども用アニメ的にまとめにいかず、映画として攻めてるところは良い。

情報量がめちゃくちゃ多いのは、良いところだった、それだけこちらに何を考えるかをブン投げまくってくれる、考えさせようとしている。

観にきている人の年齢層はめちゃくちゃ高かった。
子どもに観せたらアカンというわけでもないけど、どちらかといえば大人のための作品という気がする。


子ども用映画だと、あんまり映像美にこだわりすぎてたり、(シンエイ動画が普段つくってるドラえもん映画も、ディズニーのピクサー作品もそうだ)刺激や情報量が多すぎるものには反対だ。いったい子どもに何を伝えたいのか?分からないし、大人の視覚的快感に寄りすぎていると思う。

……そういう意味では、今回、初めてシンエイ動画の作品を素直に好きだと思えたかもしれない。大人向けだと思って観れば、美しいし、問いを投げかけてくれるし、楽しめる。




『戦場でワルツを』を思い出した。

トットちゃんを観ていて、このアニメ映画を思い出した。
2008年 イスラエル人のアリ・フォルマン監督が、自らの体験をこめて描いた、ドキュメンタリー/戦争映画。

戦場でワルツを 配給フライヤー

イスラエル人のアリ・フォルマン監督が、自らも青年時代にイスラエル軍兵士の一人として最前線に身を置いた80年代のレバノン戦争を題材に、戦争の本質を鋭くえぐり出す衝撃のドキュメンタリー・アニメーション。旧友との再会をきっかけに、なぜか自分が戦争当時のことを思い出せないことに気づいたフォルマン監督。

google映画概要より

これとかも、内容まったく子ども向けではなくて、アニメでしか表現できない心象と風景の混在をおこすためのアニメだった。
私はすごく好きな映画。しかし久しぶりにこの映画の存在を思い出した……。

ガザのニュースなども見ていたはずなのに。


公式の予告編動画。マジでこれだけでもいいから観てみてほしい……。

現実と非現実のさかいめが壊れている映像。

実写ではできないことをするために絵にしている。そういう表現での勝負なんだろうなと感じた。


この映画内で忘れられないのが、戦場カメラマンが手にしていたカメラを失ったとたんに、いきなり現実感が襲ってきて、愕然とするところ。

それまで、まるで旅行感覚で、興奮して写真を撮っていたのが、

カメラが壊れた瞬間、ファインダー越しに見ていたものの現実性に気づき、今まで自分は『カメラ越しに見る』感覚があったために精神を守れていたことに気づく。

自分と現実との間に線を引くものがあった、しかもその心の擁壁をまったく無自覚のうちに採用していた。

そう気づいた時に、やっと戦争の当事者になる。この殺戮はいま自分のいる世界で行われているのだという実感がわく。

耐えがたい状況に直面すると、人間は自分の感覚の一部を遮断したり、ファンタジーの世界をつくりだして身を守る。
良くも悪くも、そういう力が人間には働く。

そういう人間の性質の〝表〟の面を見せてくれるのが『窓ぎわのトットちゃん』で、〝裏〟の面を見せてくれるのが『戦場でワルツを』なんじゃないかな。と、思ったりした。


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