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バブルと棺桶と高速道路

高速道路に歩いて登ったことが何回かある。僕が実家に住んでいたころ、家の近くを高速道路が走っていたので、気分転換にサービスエリアの裏口から登ってラーメンなんかをよく食べに行っていた。土手にある出入り口は鬱蒼とした林に囲まれ、一見すると高速道路のサービスエリアがあるようには見えない。友達がうちに遊びに来ると音楽を延々と聴かせ、お腹が空いたら友達を車に乗せて狭い道に車を横付けして路駐し、まるで肝試しをするかのように林に囲まれた真っ暗な階段を登らせた。友達はどこに連れていかれるのかまったく見当のないまま誘導され、階段を登りきったところで突然だだっ広い駐車場にトラックや乗用車が何台も停まっている、食堂やお土産屋が横に並んだサービスエリアに辿り着いた。幻想的な高速道路の街灯はまるでどこか遠い知らない土地へと旅行に連れて行かされたような気分にさせた。

97年僕はブレントクロスというロンドン郊外の一軒家に住んでいた。公共交通機関も不便な場所なので車に乗って通勤通学や買い物をしていた。目の前にはロンドンにしては珍しくでっかいショッピングセンターもあった。僕の家から駅とは反対側に高速道路もあり、空港に行く時やちょっとしたドライブに行くときには高速道路をよく使っていた。イギリスの高速道路は無料なので気兼ねなくよく使っていたのを覚えている。

ある日家の近くの高速道路にたくさんの人が群がっているのが見えた。高速道路は土手の上にあり、南から北のほうまで延々と人間が土手を登っている。いったいどこからどこまで人の群れが続いているのか分からない。地平線の続く限り人の群れは高速道路沿いに並んでいた。僕も例に漏れず車を停めてその土手を登って行った。老若男女、人種を問わずそこにはいろんな種類のいろんな人たちが何かが来るのを待っていた。高速道路だというのに車は一台も走っていない。土手に登って15分くらい経ったとき、遠くのほうから高速道路の両側から道路の真ん中に向かって何かが投げ込まれているのが見えた。まるでサーフィンをするときの波のトンネルのようなものがどんどんこちらに近づいて来る。それがある時点でみんなが花束を車に向かって投げていると分かったとき、僕の目の前を何台ものセキュリティに囲まれたダイアナ妃を載せた霊柩車が通り過ぎて行った。霊柩車の後部座席の部分はガラスの屋根で覆われており、中は周りをぎっしりと花束で敷き詰められた棺桶がはっきりと見えた。僕の周りの人たちもみんなその車に向かって花束を投げていた。僕の隣にいた黒人の男の子もお父さんに肩車をされながら花束を投げ、目からは涙をこぼしていた。その花束のトンネルのウェーブはどんどん北の方に遠ざかっていき、最後は消えて無くなった。

僕が中学1年生の誕生日のときに昭和天皇が崩御された。今日は朝から自分の誕生日だと機嫌よく起きてテレビを点けるとどのチャンネルも天皇が崩御した特別番組しかやっていなかった。僕の誕生日は1月7日なのでいつも冬休みの最後の日を僕の誕生日で祝うことになっていたわけだが、さすがに祝い事をしていい雰囲気ではなかった。バラエティ番組というバラエティ番組が報道番組に切り替えられ、明るいCMはすべて公共広告機構にすり替えられた。街のネオンの看板は電池が切れたかのように光が消え、人々は自分の家族が死んだかのように天皇の死を悲しんだ。何かおもしろいことがあっても笑うことすら憚られ国中に自粛ムードが覆う中、僕の誕生日を祝う人間は誰一人としていなかった。

しかし街の雰囲気や一般市民の感情とは裏腹に、1989年の日本は世界を席巻するバブル経済に突入していた。天皇が崩御する1ヶ月前の12月7日には日経平均株価が3万円の大台に乗り、不謹慎にも紙やパルプ、インキ、印刷など新元号に関わる銘柄が急騰し、天皇が崩御した1月7日の2日後の1月9日には東京証券取引所は史上最高値を更新、その年の12月29日には日経平均株価はついに38915円の史上最高値に到達した。

世の中って何かあっても物事は勝手に進んでいくものなんですね。ちなみにエリザベス女王は亡くなる2日前まで公務をこなしていたそうです。おつかれさまでした。

*この後バブル崩壊のときに高速道路の話がまた出てくるんだけど、長くなるのでやめました。

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