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プロコルハルムの青い影

ストリート的な生き方を長らくしてきた。ストリートで生きてきた、ではなく、ストリート的、というのは、僕はギャングでもないし、日本の中流家庭で育ってきたからである。しかしストリートカルチャーにはどっぷりと浸かってきた。

ストリートカルチャーと普通のカルチャーとの違いは何か。普通にカルチャーと言えば文化である。しかしそこにストリートと付くと少し意味合いが異なってくる。ストリートはやはり路上であり、普通ではない。じゃあいったい何が普通ではないのかと言うと、そこには違法行為も少なからず含まれることになるからである。アンダーグラウンドなのだ。

たとえばDJは他人の曲を使って人を踊らせる。著作権は当然無視される。スケボーも公道や公園という公共の場所を使って滑る。グラフィティーアートは公共の壁にスプレー で絵を描く。DJは曲をつくるときにサンプリングをし訴えられ、スケーターは公道で滑っていると警察に追いかけられる。グラフィティーライターは人に見つかる前にさっと絵を描いて走って逃げる。しかしこれらは違法行為ではあるが、少なからず僕たちはそこに何かしらの価値を見出してきた。確かに大きな声でこれらを理解できないやつらはクズだ、ということは言えない。むしろ理解できない人のほうが常識的な人間だろう。ただ、長らくこういう生き方をしていると、仕事の仕方もそういう仕事の仕方になってくる。

僕の職場は精神科病院で、僕の患者には自閉症のお爺ちゃんがいる。年齢的にはお爺ちゃんだが最近のお爺ちゃんの見た目は中年よりも少し老けたおじちゃんくらいだ。喋り方や行動は一貫して自分の哲学があるように見え、悪く言えば頑固だが、良く言えば素直でまだ大人の社会に侵されてないイノセントな少年のようである。ちょうどレインマンのダスティンホフマンが演じた自閉症のお兄さんのように。

そのおじちゃんはいつも同じ言葉ばかりを発する。ご飯のときは「ふりかけを、まんべんなく、まんべんなく、かけて、くださ、いー!」とか「どうしても、どうしても、思い出せ、な、いー!」等。最後の語尾を強く、長く発音するのがその人の喋り方の特徴だ。そして強調したいことは二度言う。とにかくご飯にふりかけをかけるときは、まんべんなくかけないと気がすまないのだ。

いつだったか思い出せないが、そのおじちゃんがプロコルハルムの青い影が好きだというのを知った。僕のほうから好きな音楽を訊いたのか、向こうから好きな音楽を教えてくれたのか、細かいことは忘れてしまったんだけど、その日から僕とおじちゃんの音楽の時間が始まった。

仕事を片付けて次の仕事まで少しでも時間があるとそのおじちゃんの部屋に行きプロコルハルムの青い影を聴かせた。ベッド周りのカーテンを閉め誰からも見えないようにし、病棟内で禁止されたスマホを取り出し、Spotifyでプロコルハルムを小さい音で流す。ときには気分転換にと思ってライチャスブラザーズのアンチェインドメロディーを流した。おじちゃんはアンチェインドメロディーを知っていたようで、大きな声で「アンチェインド、メロ、ディ、イー!」と言った。

知らない曲には興味がないみたいで、いろんな曲を聴かせるとオールディーズっぽいのが好きなんだなというのが分かった。プロコルハルムの青い影、ライチャスブラザーズのアンチェインドメロディー、プラターズのオンリーユーやベンEキングのスタンドバイミー。とにかく知ってる曲が流れると「スタンド、バイ、、ミー!」と大きな声でタイトルを言う。

時々患者の爪を切っているとお婆ちゃんとかいつの間にかにマニキュアが塗られているときがある。誰かは分からないが(たぶん女性スタッフだと思うが)、患者の爪に赤やピンクのマニキュアをこそっと塗って知らないふりをしている。誰にも気づかれないがほとんどグラフィティーアートとやってることが同じだ。そしてお婆ちゃんの見た目は確実に良くなっている。お婆ちゃんにもお洒落は必要なのだ(もちろん病院の世界は忙しいので絶対にやらなくちゃいけないというわけではない。できる人が隠れてこっそりとやればいいだけだ)。

先々週自閉症のおじちゃんの調子が悪くなり、ベッドをナースステーションに近い部屋に移動することになった。挨拶をしても返事は返ってこなくなり、ベッドに寝たきりの状態になった。食事はストップされ、点滴が打たれる。体調はどんどん悪くなり、転院したほうがいいのではないかという話になった。うちは精神科病院なので精神は診ても身体を診ることはできない。

もしかしたら近いうちに別の病院に転院するかもしれないなと思ってある夜勤の夜にその患者に最後にプロコルハルムの青い影を聴かせることにした。挨拶をしても返事はないが、視線は僕の目を見ている。意識はあるのだ。僕はまた隠れてスマホを取り出し、プロコルハルムをSpotifyで検索した。シーンとした静寂な病室の通気口からはコーっと空気が入れ替わる小さな音だけが鳴り響いている。僕は真っ暗な部屋で青い影を流し、iPhoneのスピーカー を患者の耳に近づけた。曲の終わりに近づくと段々と音がフェードアウトしていく。小さくなった音は通気口の換気の音と重なり、最終的に暗闇の通気口に吸い込まれるように換気の音ときれいに入れ替わった。コーっという通気口の音はまるで終わりのない曲の後奏として僕たちの耳に延々と鳴り響いた。

その週におじちゃんは亡くなった。夜勤が終わって夜勤明けの休みの間に亡くなった。休み明けで病院に行くとみんながその患者が亡くなった話をしていた。みんなが僕に、たくさん音楽を聴かせてあげれて良かったね、と言った。隠れて音楽を聴かせてるつもりだったが、僕とおじちゃんが一緒に音楽を聴いているのをみんなが知っていた。その週末にプロコルハルムの青い影の入ったレコードを買った。恥ずかしながらプロコルハルムはオールディーズだとばかり思い込んでいたけど、アルバムを通して聴いてみるとサイケデリックでプログレッシブなバンドだということを今更ながら知った。今はそのレコードを聴きながらこの文章を書いている。


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