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ミニ読書記録④『植物一日一題』

子どもが生まれ、自然に触れる機会が増えたおかげで、だんだんナチュラリスト心が芽生えてきた。植物なども子どもと一緒によく観察するようになった。

(そうなった心の動きは過去記事にログを残しました↓)


そんなある日、家の整理してたら牧野富太郎の本が出てきた。

数年前になぜこれを買ったのか(そもそも、その時は牧野富太郎知らなかったし)分からないんだけど、たぶん植物のエッセイみたいなものを読みたくて、この表紙とタイトルに惹かれてポチってしまったんだと思う。

私がこの人をちゃんと知ったのは2年前。ご近所の練馬区に『牧野富太郎記念庭園』 があって、行ってみたいなあと思ってたんですよね。

しかしこれが、私の国語レベルでは、そんな気軽な代物ではなかった。マニアックなほどの植物愛(学者だから当たり前だけど)。まさに偏愛っぷりを存分に表現した描写。難読漢字も多くてさくさくとは読めない。ちょこちょこっと気が向いた頁を拾い読みくらいが、私にはちょうどいい。

で、拾い読みした中で一番気に入った一節を。

『蜜柑の毛、バナナの皮』
蜜柑の実にもし毛が生えてなかったら、食えるものにはならず、果実として全く無価値におわる運命にある。毛があればこその蜜柑である。この毛の貴きこと遠く宝玉にも及ばない。皆の衆毛を拝め、蜜柑の毛を。

「皆の衆、毛を拝め」
ときたもんだから、すごいでしょう。笑
植物を心から尊敬してないとこんな表現はできないだろうなあ。

私、果物で柑橘が一番好きだから、きっと拝まなきゃいけないと思う。
宝玉にも及ばぬ貴き蜜柑の毛を。

確かにそう言われると、あの瑞々しさには、こちらから平伏したいくらいだ。

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