江本伸悟

1985年、山口県下関市に生まれる。2014年、東京大学大学院にて渦の物理を研究、博士…

江本伸悟

1985年、山口県下関市に生まれる。2014年、東京大学大学院にて渦の物理を研究、博士号(科学)を取得。2017年、私塾・松葉舎を立ち上げ。科学、数学、哲学、芸術、芸能、武術、ファッション、ダンスなど、分野を横断したコミュニティのなかで心と体と命の探求を続けている。

マガジン

  • 松葉舎の講義録

    松葉舎でおこなった講義の記録です。

最近の記事

山縣良和・ここのがっこう論③|松葉舎の講義録|2024年3月26日

人を起点に服と社会の関係を考える。 その分かりやすい具体例として、「ここのがっこう」とも「coco」の響きを共有しているココ・シャネルのデザインを挙げたいと思います。彼女は1910年代20年代に、パンツスタイルや、伸縮性のあるジャージー素材を取り入れた女性服をデザインしました。今でこそ、そのように動きやすく活動的な女性服も当たり前のものとなっていますが、その草分け的存在となったのがココ・シャネルだったといいます。彼女のデザインを身にまとった女性は、窮屈なコルセットに身を押し

    • 山縣良和・ここのがっこう論②|松葉舎の講義録|2024年3月26日

      「ここのがっこう」の創作現場に今一歩踏み込んでいきたいと思います。 先ほどは、例えば「スカートとは何か」を考えるさいに、スカートの形状や長さなど、とにかくスカートのことだけを考えながら「スカートとは何か」を考えていきました。しかし「ここのがっこう」では、服のことだけを考えながら服をデザインしているわけではありません。服と社会との関係、あるいは服と人との関係など、さまざまな関係の編み目のなかに服をおいて、それをデザインしていきます。 とくに「ここのがっこう」が重視しているの

      • 山縣良和・ここのがっこう論①|松葉舎の講義録|2024年3月26日

        2024年3月26日、富士山麓に広がる機織り町・富士吉田にて、作家の川尻優さんと共に「生きること、機を織ること、言葉を紡ぐこと」というタイトルにて、ファッション私塾「ここのがっこう」の創作と、松葉舎の学問とについてお話ししてきました。こちらはその講演録となります。 —————— この度はお招きいただきましてありがとうございます。松葉舎主宰の江本伸悟と申します。また、デザイナー・山縣良和が運営するファッション私塾「ここのがっこう」にも講師として関わっておりまして、この4月で

        • 学びの共同体をつくる|阿部謹也『学問と「世間」』|

           著者の阿部謹也は、日本的な人間関係のありようを示す「世間」という言葉をはじめて学問の俎上に載せた学者であり、その成果は『「世間」とは何か』(1995)を通じて世に知られている。  『学問と「世間」』(2001)ではタイトルの通り、「学問」と「世間」の関係に焦点を当てつつ分析を深めているのだが、ここにもう一つキーワードを付け加えるなら、それは〈生活世界〉になるだろう。  本書の問いをぼくの言葉で述べるならば「世間の枠にとらわれずに、しかも生活世界に根を張って学問を営むこと

        山縣良和・ここのがっこう論③|松葉舎の講義録|2024年3月26日

        マガジン

        • 松葉舎の講義録
          5本

        記事

          松葉舎は7周年を迎えました|松葉舎つれづれ|2024年1月9日

          松葉舎は本日でちょうど7周年を迎えました。 7年前のこの日、2017年1月9日に開催した開塾記念講座では、武術研究家の甲野善紀先生、私塾「数樂の風」主宰の藤野貴之先生、物理学者の小林晋平・東京学芸大学准教授、フラワーアーティストの塚田有一・里香夫妻、ログズ株式会社の武田悠太さん、大建基礎株式会社の大門千彌さん、そのうちcafeの浅井琢也さん、あさくさ鍼灸整骨院の末野秀実さん、そして親友の森田真生くんに小石祐介・ミキ夫妻、恩人の伊藤康彦さんに中田由佳里さんなど、多くの方に見守

          松葉舎は7周年を迎えました|松葉舎つれづれ|2024年1月9日

          わたしの思考と出会いなおす|松葉舎つれづれ|2023年11月16日

          ヴァイオリニストの本郷幸子さんが、先日ひらいた松葉舎ゼミに参加したさいの感想を寄せてくれた。 「人に敢えて言うほど『でも』ない。『でも』だれかとこのことを話してみたい。『でも』言ったら変だと思われるかもしれない」。なんども繰り返される『でも』には、自分の思いや考えをひとに打ち明けるさいの迷いやためらいがありのままに表れている。 ダンサー/振付家の岩渕貞太さんをゲストにお招きした先日のゼミでは「言葉に触れるからだ」というテーマを軸としつつも、そのテーマに沿って一本道に言葉を

          わたしの思考と出会いなおす|松葉舎つれづれ|2023年11月16日

          言葉と学問への重し|松葉舎の講義録|2023年7月16日

          2023年7月16日の日曜日、独立研究者の森田真生さんと一緒に、「自分のことばとからだで考える」というテーマで対談をしました。こちらの文章は、そのイベントの告知文に寄せた文章の一部になります。またそのイベントに先立って書いた「自分のことばとからだで考える|松葉舎の講義録」という note の続編でもありますので、合わせて御覧ください。 *** 僕は大学で研究をしていたころ、街の方々に向けて時々、「生命とは何か」ということを講演していました。ある講演会の後、それに参加してく

          言葉と学問への重し|松葉舎の講義録|2023年7月16日

          からだは言葉に振り付けられている|甲野陽紀『身体は「わたし」を映す間鏡である』

           10年ほど前から時々、ダンサー/振り付け師の山田うんさんのスタジオを訪れて、数人のメンバーで踊りをならっている。はじめのころはおどるといっても何をすればいいのか分からず、全身がむしゃらに力をいれて生じる痙攣を踊りとしてみたり、羽根をおうバドミントンの選手のようにフロア中を駆けずり回ってみたりしていたが、年を経るにつれて、自分の体の奥にある感覚に向きあったり、体の構造を伝わる自然の動きを探ったりできるようになり、そこからおのずと体に生じてくる動きを楽しめるようになってきた。少

          からだは言葉に振り付けられている|甲野陽紀『身体は「わたし」を映す間鏡である』

          自分のことばとからだで考える|松葉舎の講義録|2023年7月8日

          2023年7月16日の日曜日、独立研究者の森田真生さんと一緒に、「自分のことばとからだで考える」というテーマで対談をしました。こちらの文章は、そのことに関して、松葉舎の授業で話したことの講義録となります。 *** 来週、森田真生くんと「自分のことばとからだで考える」というテーマで対談する予定です。それで、僕はこれまでの人生で一体どのように「自分で考えよう」としてきたのかを振り返っていたのですが、そもそも何をもって「自分のことばとからだで考えた」と言えるのか、「自分で考える

          自分のことばとからだで考える|松葉舎の講義録|2023年7月8日

          綻びを纏う|関根みゆき「解くまでを結びとする」

          和服を着るようになり、何かにつけては縫い目の綻びる着物を繕うために、針と糸を手にしてチクチクと布に向かう時間が増えていった。肘掛けにかかって袖が破けたり、寝転んだ拍子に脇の下が裂けてしまったり、その度に小一時間をとられていた僕は、なぜ着物の縫い目はこんなにも弱く、脆いのだろうと、軽い疑問と不満を抱きながらも針と指を動かし、もう、ちょっとやそっとでは縫い目が綻びないようにと、かなり強い調子で糸を縫いつけていた。 そんなある日、結びの研究者であり、松葉舎の卒業生でもある関根みゆ

          綻びを纏う|関根みゆき「解くまでを結びとする」

          呟く思考(twitter), 吃る思考(stutter)

          川のほとりの保育園に娘が通うようになり、毎日土手沿いに自転車を走らせながら、川の流れを眺めている。冬の頃には色々な顔ぶれが揃っていた鴨たちも、そのほとんどが春になってどこかに渡り、ただ相変わらずカルガモだけが、浅瀬に顔を突っ込んで虫か何かを漁っている。その周りではコサギが忍び足で徘徊し、草陰や川底の砂利を黄色い足でガサガサと揺り動かしながら、驚いて出てきた魚や虫をついばんでいる。いつも同じような場所に陣取っては同じように虫魚を喰らっている彼らが、果たして同一個体なのか、それと

          呟く思考(twitter), 吃る思考(stutter)

          世界を再魔術化する科学 |モリス・バーマン『デカルトからベイトソンヘ』

          『デカルトからベイトソンへ——世界の再魔術化』の著者であるモリス・バーマンいわく、近代とは世界からしだいに魔法が解けていく時代であった。   世界が意味にあふれ、山川草木がみな悉く生命を宿し、人々を安らぎのなかに包み込んでいた時代はもはや過去となり、それ自体としては無意味な物質世界の中に諸個人は孤立して、いまでは憂鬱症が時代の精神となっている。世界が「脱魔術化」していく決定的な転換点をもたらしたとしてバーマンが糾弾するのが、ルネ・デカルトの主客二分の哲学ないし、それに基づく

          世界を再魔術化する科学 |モリス・バーマン『デカルトからベイトソンヘ』

          タイパといいたくもなる社会

          タイパという言葉が若者のあいだで流行っているらしい。費やした時間に対してどれだけの効用が得られるか、タイムパフォーマンスの略ということだ。 直接耳にしたのではなく、こんな言葉が流行るなんて世も末だという批判的言論を介して知るにいたった。そう嘆きたくなる気持ちも分かるが、一方で、こうした言葉を発する若者の気持ちを浅薄だと切って捨てる言論のほうが、むしろ浅はかなのではないかという気持ちがある。 コスパではなくタイパという言葉が台頭してきた背景には、インターネット上にいくらでも

          タイパといいたくもなる社会

          自然の重ね描き|大森荘蔵『知の構築とその呪縛』

          昔は近代知によって失われた自然の生命を復活する希望をこの書に感じていたが、久しぶりに読み返すとかつてほど筆者の論にすんなり乗ることができない。フッサール『危機』やコイレの近代科学批判に対して、自然の死物化の原因は自然の数学的描写にあるのではなく、それが幾何学・運動学的にしか描かれていないことにあるという反論(130)はもっともに思うが、その対案が「重ね描き」というのは、こちらの理解不足かもしれないが凡庸な結論に感じてしまう。  曰く「物と自然は昔通りに活きている。ただ現代科

          自然の重ね描き|大森荘蔵『知の構築とその呪縛』

          なめらかな社会とは?|鈴木健『なめらかな社会とその敵』

          社会を分ける線をなめらかにしたい――著者である鈴木健は、子どもの頃から、社会に引かれた無数の線に違和を感じていたという。 たとえば、受験には合格/不合格者を分ける線があるが、そこで両者を隔てている1点の差とは何だろう。この微量の差異が、学校や企業、組織への所属を分ける定性的な違いをもたらしてしまう。国家を分かつ線というのも不思議なものだ。思春期に西ドイツに暮らした著者は、ベルリンの壁の崩壊以前に壁越えを試みて銃殺された人々の慰霊碑と、崩壊直後、壁の上で手をつなぎ飛び跳ねる人

          なめらかな社会とは?|鈴木健『なめらかな社会とその敵』

          雨の音 - 音の雨|ジェルジュ・リゲティ|2022年6月3日の日記

          ヴァイオリニストの本郷幸子さんにご招待いただき、東京芸術大学奏楽堂にジェルジュ・リゲティを聴きにでかける。途中ゲリラ豪雨に打たれ、通りがかりの軒下で小一時間ほどの雨宿り。街中を包み込むような雨粒の音と、足下に飛びちる水の冷たい感触。  ポエム・サンフォニック。100台のメトロノームが各々のリズムをそれぞれに刻む。ばらついた100のリズムに耳を澄ませていると、大粒の雨に打たれて鳴り響くトタン屋根の下で、じっと雨宿りしているような気分になってきた。ぱらばらばら、ぱらばらぱら。

          雨の音 - 音の雨|ジェルジュ・リゲティ|2022年6月3日の日記