見出し画像

母親を連れて数百里 会津若松への旅路

みなさん、こんにちは。しんまるです。
先週はnoteを更新することができませんでした。ちょっと前に週1回は更新すると書いていたにも関わらず。

年初に掲げた抱負のひとつである「会津若松」へ2泊3日の旅行に行ってきました。

この旅は車で行ったのですが、私の母親を乗せての旅路でした。会津若松まで約700kmです。最初は電車で行くことを考えたのですが、どのみちレンタカーは現地で必要になること、郡山からの電車での移動に時間が掛かるのではと考えての選択です。

私の母親はもうすぐ傘寿を迎えますが、これまでふたりで旅行したことはありません。今年のGWに実家に帰った時に「会津若松」に行こうと考えているという話をしていました。

ちょうどそのとき「八重の桜」をAmazon Primeで観ていた次男が私も行こうかなと急遽、参戦(後述)。

すると、それを聞いた母親が私も行こうかなと。ならば、3人で行こうと。次男がかって会津若松の東山温泉という所に仕事帰りに訪れていた時に気になっていた宿がたまたま予約できたのが先週の週末でした。

金曜に仕事が終わってから家に帰って、母親を助手席に乗せて旅の始まりです。まさか、こんな形でこの年齢で母親と旅をすることになるとは思いもしませんでした。

私の母親は何というか、非常に変わった人です。プライドが非常に高く、自分の非を認めて謝るということをしません。でも、よく笑います。父親と私を含めた4人の子どもたちの今があるのは間違いなく母親の力です。

まずは、富山までの道のり、ずーっと横で喋り続けてくれました。よく話が途切れないものだと感心しながら。翌朝、会津若松の大内宿までの道のり、これまたずーっと横で喋り続けてくれました。

途中、眠気を催した私の腕をバンバンと叩きながら。

一方で大阪南部に住んでいる次男は土曜に関空から新潟空港まで飛行機、そこから会津若松までバスで移動というプランでした。

先に宿に着いて、ゆっくり温泉に入って待ってるわって言っていた次男ですが、旅というものにはアクシデントが付き物ですね。何と、新潟空港から会津若松までのバスの運行が一日一便しかないならしく、新潟駅まで出てそこからローカル電車に揺られて会津若松駅まで3時間の旅。

結局、我々より3時間くらい遅れての宿への到着でした。

翌日に白虎隊で有名な滝沢本陣、飯盛山。会津藩の藩校である日新館、鶴ヶ城、最後は七日町の散策と会津若松を堪能することができました。

と同時に、自分がいかに片側からしか幕末の歴史を見ていないことを痛感しました。

飯盛山にある白虎隊記念館で非常に若くして散った少年たちの無念を少しでも知り、郊外に再現した日新館は小学校から大学までが一体になった感じで驚きました。切腹の作法まで学ぶという。こんな学校が開国以前に存在していたなんて。

帰路は次男を会津若松駅まで送って、そこから母親を乗せて京都までの長い運転です。母親は行きほどではありませんが、よく喋ってくれました。

変わった母親ではありますが、私の結婚式で母親についての印象を問われたときに、私は「厳しくも温かい」と答えています。これだけの距離を母親とふたりでドライブという経験はもうないかもしれませんが、非常に思い出に残る旅行になりました。母親と次男に本当に感謝しています。

そして、やはり「遠くの知らない場所も良い」ことを実感しました。

最後までお読みいただきどうもありがとうございました。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?