見出し画像

【ありのまま生きる】イケてる自分とイケてない自分

「ありのまま生きたい」という願いは、誰もが持っています。人の目や、人間関係を気にせず生きていけたら最高ですよね。

しかし、現実はSNSやインターネットの普及、社会の複雑さにより「ありのまま生きる」どころか「生きづらさ」という言葉を耳にする機会が増えました。僕自身、HSP(Highly Sensitive Person:繊細な人)という気質を持っており、このHSP気質で割と苦労する機会が多かったように思います。HSPやADHD(注意欠如多動症)で「生きづらさ」を表明し、SNS発信をしている人も見かけるようになりましたね。

本記事では「ありのまま生きるとはどういうことか」を考えてみたいと思います。


ありのまま生きるとはどういうことか

「ありのまま」という言葉をネットで調べてみました。

実際にあるとおり。偽りのない姿。

goo 辞書

偽らない姿が「ありのまま」。つまり「良い自分と悪い自分」「好きな自分と嫌いな自分」「イケてる自分とイケてない自分」を、分けて隔てなく見せることが「ありのまま」だということです。

イケてる自分とイケてない自分の分断


前述したように、僕たち人間は自分の中に「イケてる自分とイケてない自分」を持っており、成長過程や社会生活の中で、分断を図ります。人間関係や社会生活の中で、「他人に見せると不利になるような性格や気質、行動 = イケてない自分」を抑圧し、封印してしまうということです。

ザ・メンタルモデルの著者で合同会社CCC(CoCreationCreators)代表の由佐美加子さんは著書「ザ・メンタルモデルワークブック」の中で下記のように述べています。

言語を使って世界を描写し、そこから何を求められているのかを認識すると、どんな自分なら受け入れられやすいのか、を考えられるようになります。そこから、人に「受け入れられる〝いい〟自分」、「受け入れられない〝ダメな〟自分」という概念ができます。人の期待に応えられる自分はより愛されるし、より受け入れてもらえるんだ、と思うようになります。こういうことはやっていい/やってはいけないという考えをもつことはもちろんのこと、こういう自分はいい/こういう自分はダメなんだという、自分の「存在」そのものに対するいい・悪いの区別が生まれます。それが内的な自己の分離( 自己分離)です。

由佐美加子、中村伸也:『ザ・メンタルモデルワークブック』.オオルリ社.2021


ぼくであればHSPの繊細な気質を「イケてない自分・ダメな自分」と決めつけ、隠したまま人間関係を構築し疲弊していました。「繊細な自分は異常で、受け入れられないから、もっと頑張らなければならない」と更に自分を駆り立てていたという感じです。

実際にその方が社会生活を営みやすく、恩恵を受けることも多いです。しかし、イケてない自分を隠し続けると、徐々に歯車が狂い始めます。そして、限界を迎えた時に繊細という大波が自分を飲み込んでしまうという現象がおきてしまいます(ぼくの場合は33歳で大波に飲み込まれてしまい、メンタルダウンを経験しました)。

それでは、「イケてない自分」をどう扱えば良いのでしょうか?

ありのままの自分をみつめる

前述した、由佐美加子さんは著書「ザ・メンタルモデルワークブック」で、下記のように述べています。

自分がこの「ダメな私」を認めない限り、人からどれイケてる私」を承認されていても、ありままの自分は受け入れられません。自分で受け入れられない自分が内側にいる限り、外側でどれだけ受け入れられたとしても、自分の内側ではそれを決して受け入れず、「自分は受け入れられない」という世界をずっと生きつづけていくしかありません。 「ダメな私」を認めるとは、そういう自分もいるよねと、いい・悪いの判断なくあることを、ただある、と認めることです。
<中略>
この、自分の中に「あること」に対して、「いい・悪い」「正しい・間違っている」という二元的な評価・判断を下すことをやめていくのが 自己受容 です。

由佐美加子、中村伸也:『ザ・メンタルモデルワークブック』.オオルリ社.2021

まずは、「イケてない自分も自分の中にあるものだ」と認める。ポジティブに変換するのではなく「ただあるんだ」と認識することが大事だということですね。

そのためにはトレーニングも必要になってくるので、興味がある人は由佐さんの本を読んでみてください。

今後は「ありのまま生きる」を目指し、生き方や考え方が更に多様化してくると思います。しかし、外的なものに振り回されるのではなく、自分の内面に目を向けどんな社会になっても「自分らしく」生きていきたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?