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(文学)白石かずこが好き

 現代詩を好むなんて稀有なこと。さらに日本の現代詩が好きだなんて。

 『聖なる淫者の季節』の出版は1970年。私が初めて手にしたのはその30年後で、今から20年ほど前。どういうルートを辿って白石かずこに行き着いたのかは定かではないが、当時思潮社の現代詩文庫を読み漁り「見つけた!」という感じだった。言葉のかっこよさ、緩急のあるジャズのようなリズム、70年代の雰囲気。当時詩に渇望するも、まだ見出せていなかったものを見つけたのだと思われる。20歳そこそこの感性にこの詩集は強烈だった。数百行で綴られる長編詩も読んだことがなく、エポックメイキングでもあった。

 詩集全編を通じ、辞書を引かなくてはいけないような難しい言葉は使われない。カタカナを多用し、スライやスティービーワンダー、コルトレーンまでミュージシャンの名前もたくさん出てくる。それらの言葉は地脈のように深く流れる愛と孤独、生と死、エロスというテーマの元紡がれていく。単体のメロディーとしてぽつりと。あるいは、長いソロパートとして息継ぎもせずに。時に転調やスケールを変えながら。力強く。常に主観的に。軽く跳ねるようなカタカナと、重力のある重い漢字がリズムを作る。全編を一気に読み上げていくことは快楽だ。

 詩の歌詞を好む人は多いが、詩を好む人は少ない。海外の現代詩を好む人は稀にいるが、日本の現代詩を好む人はそれより少ない気がする(私もここ数年新刊の詩集を買った記憶はない)。「◯◯のための詩集」のように目的付きのアンソロジーを買う人はいるが、読む快楽だけを追及し、ひとりの詩人の詩集を買う人は少ないだろう。久しぶりに、白石かずこの詩集を開き、詩の快楽を再び味わうことができた。初読から20年たった今も、『聖なる淫者の季節』は素晴らしい。

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