見出し画像

チーズを作ることで乗り越えてきた7年間

SHIBUYA CHEESE STANDをオープンして6月4日をもって7周年を迎えました。月並みな表現ではありますが、本当に本当にありがとうございます。

7周年というのは自分の中では結構思い入れがある区切りの年です。

第一に1号店の借入金の返済が終わったということ(起業時は7年後がどうなっているか全くわからなかった)。第二に前々職のレストランに入社したときがそのレストランの7周年だったためです。7年継続するという凄さをその時に感じたためで、起業時に7年は続けられるように、まずは頑張ろうと思ったものです。

オープン前(〜2012年6月)

30歳。前途多難なオープンでした。

イタリアで出来たてのチーズを食べて感銘を受けたのが23歳。それを街でより多くの人に届けたい。そして作っているところも見てもらえるレストランを作りたい、という思いで、飲食業界で下積みを積んできました。

食の基礎を学んだレストラン時代。そして、次のドーナツ屋時代には、新たなブランドの立ち上げから携わり、その後は、マネージャーとして店舗展開をしていく立場で働き始めました。何店舗も新規オープンには携わってきましたが、自分でゼロからつくりあげるのは、それと全く違うということを思い知らされました。施工業者の選定から、ロゴまですべてが最終的に自分ひとりで決断していくというのはなかなか痺れるものでした。

画像1

チーズ作りだってまだまだでした。こんなことを書くのも憚られるのですが、今から思えばよくオープンできたな、と思います。

実はオープン前の物件を探している無職の時期に、妻に脳腫瘍が見つかりました。そのためオープンするかさえ悩んでいましたが良性だったためになんとかスタートをきる踏ん切りがつきました。

当初、チーズ職人で入ってくれるスタッフの目処が立たなくなり、運良く応募してくれたエジプトからのチーズ職人はビザの関係で日本に来られるのがいつになるのかわからない。自らがチーズを作らざるを得ない状況になります。1ヶ月前に作った試作では失敗することもありました。

新しい価値を提供するために、文化や情報の発信地である渋谷でどうしても出店したく、またインパクトのあるSHIBUYAという冠詞をつけたく、物件を探していました。今でこそ奥渋谷と呼ばれているこの地域も当時はそのような名などなく、今ほど素敵な店も多くはありませんでした。しかし、渋谷駅から歩ける距離でありながらビジネス街、住居が同在し、また大使館が多くあるため外国人も多く、近くには代々木公園という大きな公園もある面白い場所だったのです。

なんとか物件が見つかっても、乳の確保、工事や保健所など、都会のチーズ工房なんて、前例のない事なのでとても時間がかかりました。施工業者や設計事務所のおかげで何とか目処がたったものの、予定より1ヶ月半ほど遅れてのオープンとなりました。

1年目(2012年6月〜2013年5月)

7年ほど起業準備をしてきて、満を持してのプレオープン、オープン。多くの友人が来てくれる中、チーズ自体をちゃんと作れるか不安だったのが思い出されます。最初はモッツァレラ、リコッタのみ。サンドイッチを中心に売っていく予定だったので、メニューもごくわずか。

珍しい業態だったため、多くのメディアに取り上げていただけました。製造の合間を縫って毎週のようにメディアの方々に取材していただけました。

また弟に譲っていた大学時代に乗っていたHONDAのカブを再度譲り受けて、卸の配達も自分自身で回っていました。まかないなど食べる暇もなく、配達中の信号待ちでおにぎりをかじっていたものです。

オープン当初は、千代田線の町屋駅という下町情緒残る駅に住んでいました。朝の始発でチーズ作りに向かい、営業後でも色々と直したいところがあって終電ぐらいまで残っていたため、寝落ちしてしまい、寝過ごすこともしばしば。東急ハンズ近くでオープンしたことが幸いして多くをDIYでよりよくしていきました。

6月にオープンして、知人が働いてくれるスタッフを紹介してくれたり、手を貸してくれたおかげで、12月にはネットショップなども立ち上げることができました。また、同時期にブッラータやカチョカヴァッロも作り上げていきました。

画像2

1年目は、やりたいことが多すぎてやりきれていないもどかしい年でした。と同時に、多くの友人やお世話になった方々がわざわざ来てくれたこともあり、店をもつこと自体が人を繋げるハブになるのだということを強く痛感した年でもありました。

2年目(2013年6月〜2014年5月)

新しいスタッフも加わり、アルバイトスタッフも増え、催事などに出店させていただきました。業態をサンドイッチを中心とした店舗から、お酒も楽しめる業態へとチェンジさせていきました。

卸事業を通じてシェフとの繋がりができたり、レストランを経営する立場として農家さんなど生産者とのつながりができた1年でした。

原料の乳が仕入れられなくなるかもということもありましたが、乳業組合の方々のおかげで継続することができたのもこの年でした。

そして3月に「月曜から夜ふかし」という番組に出演させていただいたおかげで次の日から行列ができるようになりました。ECサイトの注文メールが止まらない嬉しい悲鳴というよりも「どうしよう、、」といった気持ちは今でも忘れません。翌日からてんてこまい。今でも続くブッラータチーズのブームもこの番組がきっかけだと思っています。

3年目(2014年6月〜2015年5月)

3周年。
ここも一つの節目だと思い、生産者さんや業者の方を招いての小さな周年を行ったものよき思い出でです。

画像3

とにかく毎日が忙しく、充実していました。
アルバイトスタッフもたくさん入ってくれたりと良きチームが出来ていたと思います。

台北から研修生が入ったり、大学生のインターンが来たり。

またLINEスタンプを作れるようになり、起業時から温めておいたキャラクターたちが日の目を見るようになります。後の絵本、WEB4コマへとつながっていきます。

店舗でやっていたバックオフィス作業も店舗での作業では手薄となり、事務所を構えることができたのもこの頃です。

売上がたったことで、次から次へと新しいことにチャレンジしていくことができました。車輪が回り始めた。短期ではなく中期で、未来へ向けて会社に投資をしていくということを心がけながら動け始めた年でした。

画像4

4年目(2015年6月〜2016年5月)

スタッフを連れてサンフランシスコ研修にいくこともできました。 

画像5

また新たに入った仲間とともにオウンドメディア「CHEESE Media」(現CHEESE STAND Media)をスタート。絵本のモッツァーマンも作りました。

客足も増え、2015年の5月には月間売り上げも過去最高を記録しました。また卸先も増えていき、このままでは製造キャパが追いつかないため、新工房移設へと動き出します。

ただ、卸事業が2年目ぐらいで店舗の売上を抜くであろうと事業計画に書いていたものの、この当時はまだまだ遠く及びませんでした。これは7年目になってようやく達成します。

5年目(2016年6月〜2017年5月)

「& CHEESE STAND」オープンにむけて動き出します。物件を契約したのは2016年の3月ぐらい。工事の期間、今ある店舗を活用して繋がりのあるゲストを招いてイベントを行いました。

SHIBUYA店をオープンしてからというもの、オリーブオイルやワイン、塩やチョコなど、こだわりを持ってプロダクトを作られている生産者さん、輸入をされているインポーターさんにお会いしてきました。そして、私たちのチーズに命を吹き込んでいただけるたくさんのシェフの方々にチーズを使って頂けました。

2号店「& CHEESE STAND」の「&」はそうしたシェフや生産者との繋がりを大切にしたい。そんな意味を込めています。

画像6

画像7

基礎調査や大規模なチーズバットと呼ばれるものを作るのに時間がかかり、オープンできたのは12月。

&店舗が増えてぐちゃぐちゃになる前に社内システム整備を行なっていきました。FAXの廃止や、発注システムの整備、ルールの整備なども行なっていきました。

また2017年3月に渋谷駅直結のHikarieに物販専門の3号店をオープンしました。

画像8

6年目(2017年6月〜2018年5月)

6月にはフランスで行われた国際コンクールでブッラータが銀賞を受賞するなど前半はとても充実した年でした。3人の功労スタッフに現地に行ってもらいました。

画像9

後半がしんどがった。

ヒカリエも思っていたような絵が描けず、半年ほどで早々に撤退。

また2店舗になったことで交流などもうまく行えず、製造スタッフが1人、2人と辞め、私が工房に朝から入ることに。そのためSHIBUYA店としっかりと関わることができず、さらに連携が悪くなりSHIBUYA店をやめるスタッフが出てくるといった悪循環が起きていました。

7年目(2018年6月〜2019年5月)

この年も多くのスタッフが入れ替わりました。10人前後の会社で1人抜けるインパクトはとても大きいものです。

実はこの年に人材派遣会社に何百万と使いました。売上高が1億少しの規模の会社で、この出費はとても大きなものでした。

本当に自分が情けなく、ただでさえ人材不足が叫ばれる中、このまま続けていいものかと何度も悩みました。

このままではいけない、との危機感からHRのカンファレンスへ行ったりしながら、職場環境の改善に努めました。週休2日の導入や人事部門を作り担当者を採用しました。

自身も、体調不良により、人生で初めて帯状疱疹の症状もでてしまったり、学生時代以来のインフルエンザにもかかってしまいました。

ただ、2017年後半から私がチーズづくりに専念できたことで、さまざまな発見がありました。例えば、どうしても気になっていたリコッタ製法の部分を変更してよりなめらかな食感を作るようにしたり、作業工程のpHも微調整を繰り返しながらより美味しいチーズを作り上げていきました。6年経ってもまだまだ改良できるところはある、ということに気づけたことは大きいです。おかげで2018年のチーズコンテストではブッラータが部門日本一。リコッタも2大会連続で日本一になることができたほか、その他の出品チーズも全て受賞することができました。

また街でチーズを作るというブランドコンセプトでGOOD DESIGN賞をいただくことができました。オープン以来何かと紆余曲折があった中でも、今まで一番どん底だった年でしたが、チーズを作ることで光を見つけて、そこから評価もしていただけたことは、「まだまだやれることはたくさんある」と自分自身にとってこれからの勇気になりました。

画像10

今、そしてこれからの決意

& CHEESE  STANDをスタートしてからは前に進めていないという停滞感を感じていましたが、年末から今にかけてスタッフも多く入り、ようやく次のスタートを切れる状態になってきました。

次の8周年に向けて会社としては、ファンベースを軸とした会社づくりを行っていきます。

こうして振り返ってみたことで、自分は今後何をやっていきたいのか、ということを深く深く自問することができました。チーズ職人としての自分、経営者としての自分、クリエイターとしての自分。それらをどうやって未来に繋げていくのか。次のnoteで、これからの未来について宣言させていただきます。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?