私は、「私」を救う言葉を綴る。
こんにちは。桜小路いをりです。
「言葉で誰かの心を救えたら」と思うことがあります。
それは、たとえば私が何気なく綴ったエッセイでも、ひとつひとつの言葉を丹念に練り込んだ小説でも、短歌でも俳句でも、何でもよくて。
ただ、その言葉に触れた誰かが、「明日も頑張ろう」とか「今だけは、泣いてもいいかな」と思ってくれたら。
私の言葉に触れている時間が、心をゆるめて、その人らしくいられるものになったら。
そんなふうに、思うことがあります。
でも、「どんな言葉なら誰かを救うことができるのか」は、私にはまだ分かりません。
noteでコメントをいただくと、「私が伝えたいこと、誰かの心に残ってほしいと思ったこと、ちゃんと伝わってたんだな」と思うことが、たくさんあります。
でも、同じくらい、「こんな些細なところにまで、共感してもらえたんだ」と思うことも、たくさんあって。
私が何気なく書いた言葉、深い意図もなく綴った言葉が、誰かの心に深く刺さってくれることもある。
それは、意図して伝えた言葉とはまた違う、「尊さ」がある気がします。
どんな言葉なら、心に残りやすいかな。
どんな言葉を綴ったら、誰かを救えるのだろう。
私は「私」という人生にしか居られないから、他の人が求めている言葉を紡ぎ出すことは、なかなか難しくて。
「だったら……」と、この前、ふと思いました。
私は、過去の「私」にかけてあげたい言葉を綴ろう、と。
過去の「私」が読んでいたら、きっと心が軽くなっただろうなと思う言葉。
過去の「私」が出会っていたら、人生変わっちゃってたかもね、と思うくらいの言葉。
そんなふうに、まずは「私」を基準にして、言葉を紡いでいきたいです。
その言葉が、もしかしたら、未来の「私」のことも救ってくれるかもしれないから。
他の誰かの心にも、きっと響いてくれるはずだから。
これは、noteだけじゃなくて、小説などの創作活動でも、同じくらい大切にしていきたいです。
他の誰でもない、「私」が救われる物語。
「私」が読んだら、たまらなく感動できたり、キュンとしたり、励まされるお話。
それを基準にしていけば、これから先、自分の書くものを全部、肯定してあげられる気がします。
今日のnoteは、そんな大切な気づきを、未来の自分に残しておくための記事です。
つまずくことも、迷うことも、立ち止まることもあるけれど、きっと大丈夫。
だから、未来の私。安心して、書いて!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。