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丹下さんとの出会い・エレベーションを何十枚,何百枚書くということ─「磯崎新氏が述懐する丹下健三」前編

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再刷決定を記念しまして、『丹下健三』執筆のベースとなった『新建築』掲載の藤森照信氏によるインタビューシリーズ「戦後モダニズム建築の軌跡」を再録します。


「判断の確かさという意味で丹下さんは抜群の人だったと今でも思っています」
磯崎新


目次
●丹下さんとの出会い
●コアシステムとオフィスビル
●ユニテ,大連,広島
●エレベーションを何十枚,何百枚書くということ


丹下さんとの出会い

─磯崎さんが丹下さんの存在をはじめて知ったのはいつ頃のことですか.大学に入る以前からご存知でしたか.

磯崎 実は大学に建築学科があることすら知らなかったんですね.とにかく工学部に入ればよかろうと,ただそれだけでした.
駒場の時期,僕は美研というところに所属していまして,その美研から建築学科に行った先輩が何人かいたものですから,その影響もあると思います.アートなんかに興味があったわけですから,工学部でアートということになれば建築じゃないかと,その程度のことですね.そして建築学科に行こうと決めた頃,本屋で丹下さんの広島計画の特集が載った『国際建築』を見まして,それが丹下さんとの出会いだったと思います.

─1950年11月号の『国際建築』ですね.雑誌を見られたとき,インパクトはどうでしたか.

磯崎 アーチが印象に残ってますね.そのときに丹下健三という名前は覚えたんですが,東大の本郷で教えているということは何も知らなくて,本郷に入ってようやくそのことを知りました.
僕は丹下さんの研究室に行くだろうと何とはなしに自分では思っていたんですが,建築学科に入って2年目か,1年目の後半に,藤島亥治郎さんのところにアルバイトに行ったんですよ.その頃,日本ではじめてのテレビ放送,もちろん実験放送ですが,NHKのテレビ放送というのがありまして,その放送の中に藤島さんが住宅の説明をするというプログラムがあったんです.それに使用する住宅の模型づくりのアルバイトを募集していまして,僕が行くことになったんです.あまりよくは覚えていないのですが,バルサで模型をつくって,それが最初の実験放送に使われ,それが縁で中山道か何かの調査に狩り出されたわけです.

それで行くには行ったんですが,僕にとっては,ちょっとおもしろい窓があるとか,ちょっとしゃれたデザインになっているとか,そういったことが興味の対象なわけで,つまりまともな調査はちっとも面白くないわけですよ.本来の調査というのがどういうものなのかよくわからない.逆に,デザインで面白いものを見つけても,調査としては役に立たないわけですね.ですからこれはもうしょうがないかなと,そんな状態だったんです.それでも藤島さんは,僕が歴史のほうにくるだろうと思っていたようです.ただ設計をやるならやはり丹下さんのところでということで,丹下さんの卒論を取ったわけです.そして卒論をやっているうちに,大学に残りなさいという雰囲気になって,大学院に進みました.


コアシステムとオフィスビル

─丹下さんの授業はどんなものでしたか.

磯崎 あまりよく覚えてないな.
ただアゴラ,フォーラムという広場の話を講義でやっていた記憶はあります.以前から関心をもって取り組まれていたテーマだとは思うんですが,ちょうど丹下さんがCIAMの「ハート・オブ・ザ・シティ─都市のコア」という会議に出席した後でしたから,そんなタイミングもあって講義の中でやっていましたね.ほかはどんな講義だったか,まったく記憶がありません.

─卒論のテーマというのは,丹下さんが考え,学生に与えるんですか.

磯崎 その当時,丹下研究室(以下,丹下研)で取り組んでいた理論というのが非常に面白いんです.コアシステムというのが重要なテーマだったんですが,とにかく,なんでもコア.都市に関しても,建築に関しても,コアシステムをどうやって正当化するかということが,メインテーマでしたね.
オフィスに関していえば,ロックフェラーセンターに到達するような歴史的プロセスがあって,それに即してコアシステムというのができ上がってきたのですが,その部屋の奥行はどのくらいにしたらよいかとか,コアが外に出たらなぜいけないのかとか,具体的なところをどう説明すればよいのかということがよくわからない.そういうことを研究し,コアシステムをどう正当化するかが丹下研のテーマでした.そして,そのために実際のオフィスビルを調査するということを丹下研でやったんです.その関係で,卒論でもコアシステムに関するオフィス調査をやらされそうになりました.ただ,僕は調査をまとめるのが得意じゃないので,卒論では別のテーマを取り上げたんです.

当時,大学の図書館には,シカゴ派が独自に出版していた建築雑誌のバックナンバーや,『ARCHITECTURE RECORD』などアメリカの雑誌があり,よくそのあたりの雑誌には目を通していたものですから,そういった資料を利用して,シカゴ派からロックフェラーセンターまでの間にオフィスの概念がどう変わったかということをまとめようとしたのです.きちんとまとまったかどうかはよく覚えていませんが,僕の卒論は完全にオフィスビルの歴史,超高層の出発みたいなものの研究です.

─題名は「高層建築の諸問題,スカイスクレーパーの史的分析」ですね.


ユニテ,大連,広島

─大学院に入ってからは研究というよりも設計が中心だったのですか.

磯崎 設計だけですね.

─大学院に入られたとき,丹下研ではどんな仕事をやってたんですか.

磯崎 一番最初は,すぐ実施図面の手伝いなどをやっていましたが,実施といっても土壇場の実施で,広島のピースセンターの真ん中にある本館(陳列館)の最後の頃でした.
広島の現場には学部生の頃にも行って実際に見ています.本館の場所というのは,墓場だったところで,僕が行ったときはコンクリートだけが半分くらい打ちあがっていた頃でしたね.プレキャストのルーバーが入っていなくて,ピロティとその上にスケルトンだけがある.その頃に行ったという記憶がありますね.僕は大分の出身だから,帰郷の途中か何かで寄ったんでしょう.丹下さんのところに行こうと決めて,それで改めて見に行ったのかもしれません.

それから何年か経った後のことですが,日本で美術雑誌か何かを調べていたら,そこに丹下さんがご自分で撮ったというマルセイユのユニテの写真が載っているんです.CIAMが終わった後にマルセイユへ行って撮ったらしいのですが,その写真のユニテというのが,上に何もないピロティだけの頃で,階段もついていない.それが自分の見た工事中の広島とそっくりなんです.

─珍しい状態で見たんですね.

磯崎 そうなんです.両方とも工事中でね.それから後になって,前川國男さんの大連市公会堂のコンペ案というのを改めて見て,これが広島の原型かなとも思いました.真ん中にピロティがある.あの構図,ですからマルセイユのユニテと大連市公会堂と広島ピースセンターが三つ巴になっているんですね.

─大学院に入ってすぐに描いたという広島の実施の図面というのは.

磯崎 最後の,まだ手がつけられていなかったインテリアの図面くらいです.本館のプロポーションスタディはすでに終わっていましたね.


エレベーションを何十枚,何百枚書くということ

─本館の柱梁のファサードに関して,大谷幸夫先生はものすごく苦労したとおっしゃられていました.大谷先生は,その後もこの問題に取り組まれ,いまだに取り組んでいるそうです.ただ,そのファサードスタディに関しては,どのあたりで苦労し,どう検討していたかがはっきりしないんです.

磯崎 それに理屈はないのよ.

─ピースセンターの本館のあの完成度というのはとんでもなく高いもので,動かし難いところまでいっていると思うのですが,それがどのようなプロセスを経てでき上がったのかがよくわからない.大谷先生は大変だったとしかおっしゃらないし....

磯崎 要するにエレベーションは何十枚,何百枚と書かなければいけないものだということが,すでに丹下研では常識となっていた時代に僕は入ったんで,それに関しては理屈なんかないわけですよ.桂離宮に対する意識といっても,それを写すわけじゃないんですね.

─それはそうですね.

磯崎 何枚も描くんですよ.それでよいか,悪いか,それだけです.プランに関してもそうです.丹下さんのやり方というのは,自分ではディレクションするだけで,実際の図面は3人くらいに描かせるわけですよ.するといくつかのバリエーションができます.それを見て丹下さんは,その中のひとつに対して「これをディベロップしろ」という.そうすると,それに対して3人がディベロップメントする.そうするとまたバリエーションが増える.そしてそれに対して丹下さんが,また意見をいう.設計はこの繰り返しです.

─じゃあ選別をしていくということですね.品種改良みたいな.

磯崎 ですから,今から考えてみても,丹下さんには先を読む確かな目がありましたね.これを進めればこうなるだろうという読み,そして,それを書かせるために自分で引っ張っていく才能もあった.判断の確かさという意味で,丹下さんは抜群の人だったと今でも思っています.
(『新建築』1998年11月号掲載)


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新建築社

株式会社 新建築社は、1925(大正14)年の創業・『新建築』創刊以来、月刊誌を中心とした建築関連の雑誌・専門書を発行しています。建築を様々な角度から取り上げ、新しい建築を求め誌面をつくっています。 https://shinkenchiku.online/

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