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時間の流れを読み解く

「私の失敗」は建築家自身が自分たちの失敗を赤裸々に語るコラムです。建築家たちはさまざまな失敗を重ね、そこから学び、常に自分たちを研鑽しています。
そんな建築家たちの試行をご覧ください!


執筆者:竹原義二(建築家)
1948年徳島県生まれ/1971年大阪工業大学短期大学部建築学科卒業後、大阪市立大学富樫研究室を経て、石井修/美建・設計事務所/1978年無有建築工房設立/2000年大阪市立大学大学院生活科学研究科教授/2013年〜大阪市立大学大学院生活科学研究科、大阪大学大学院工学研究科非常勤講師/現在、摂南大学理工学部教授


目次
●駆け出しの頃
●過去の住宅との付き合い方
●失敗は単純なことから始まる
●自邸だからできる内外コンクリート打ち放し


駆け出しの頃

1978年事務所を開設した。初めての仕事は小さな住宅であった。
木造2階建ての3人家族の家は、住宅金融公庫を使用した108㎡の住宅で、住みやすい家をモットーとして設計された。その時代は高気密・高断熱を用いた仕様ではなく、公庫仕様に基づいた標準的な性能を持つ住宅であった。

私は住宅の名称を建物が建つ場所の地名から決めている。
この家は「勢野の家」(1978年)と名付けられた。

35年ぶりに、近くの現場に行った際にその住宅を訪ねてみた。数年前クライアントから、会社が倒産したために家が人手に渡るということは知らされていた。やはり表札は違っていた。外から見た感じでは、手を加えずにそのまま住んでいることがうかがい知れた。留守のようなので、建物が傷んでいないかチェックをするため、ぐるりと見てまわった。よくメンテナンスがされているのか、美しい状態で使われていることが嬉しくなり、思わず建物と住む人に「ありがとう」とつぶやいた。しかし、よく見ると軒の出ていない部分の、下見板張りで仕上げた外壁の杉板が反ってしまっている。釘頭が板を突き抜けて釘が浮いて杉板が反りあがっている。

設計をした当時はチャールズ・ムーアのシーランチが好きで影響を受けていた。当然のように、片流れの外観に軒の出ない納まりでデザインをした。
当時流行っていたスタイルを用いたのである。雨の多い日本では、軒の出が必要であるということは百も承知していたがデザインを優先した。軒の出ない家をつくると雨仕舞いの失敗が見てとれる。やはり屋根と外壁の取り合いのディテールの詰めの甘さが見てとれた。雨は漏っていないようであるが心配な納まりである。杉板に塗装を仕上げてあるが、軒の出ていない屋根納まりは外壁を極度に傷めている。また屋根葺き材のメーカー10年保証が終わった後の経年変化をクライアントが意識できないのは当たり前である。雨が漏らないとメンテナンスはなかなかしにくいところである。住む人が途中で変わることが私の設計した家では何軒かあるが、なぜか現状のままで使われていることが多い。この「勢野の家」はうまく住まわれている好例なのかもしれない。

駆け出しの時はデザイン優先で無理をし、失敗してしまうことも多くある。しかし、何とか帳尻を合わせてクライアントは建物と付き合ってくれているから助かっているのである。


過去の住宅との付き合い方

最近はメンテナンスのことも含めて、過去設計した住宅のリノベーション相談が多くなった。相談の電話をくれる人はよいが、相談のない家のことを考えると何かと心配が増え、憂鬱になることもある。
この「私の失敗」の原稿を考え出した時、あの家はうまく住んでくれているだろうか、何か問題が起こっていないだろうかと考えてしまった。こちらから電話をすればいいのだがなかなかそうもいかない。本当はクライアントに、もうそろそろ家のメンテナンスの時期ですよと、伝えるべきなのだろう。
今でも付き合いがある家は何年かごとに訪ねて、痛んでいる箇所のメンテナンスの時期を伝えている。全ての建物を訪ねたらもっとよい結果が出るのに、私は都合のよいことしかできないのかと反省してみるが、忙しすぎてもう一歩前に踏み込めない自分に不甲斐なさを感じている。
私が独立した時期(1978年)は、住宅金融公庫融資付き住宅が多く、住宅金融公庫仕様書が建築の質を高める基準として施行されていた。が、現在は住まいをめぐるさまざまな状況が大きく変わり、新しい基準の中で高いハードルで住宅が施工されている。
公庫は2007年に廃止され、2000年に「住宅の品質確保の促進等に関する法律」が施行され、「10年間の瑕疵担保責任の義務化」と「住宅性能表示制度」の創設により、住宅の基本性能が客観的に判断できるようになった。
住宅はクレーム産業といわれるほどクレームが多いのだが「住宅に係る紛争処理体制」の整備がされたことが住宅の質を高めることになったと思っている。しかしその反面、建築が仕様書の通りつくられているためか、建築の楽しさがなくなり、住まいが一辺倒になってしまったことが、街並みを画一的な印象にしている。

建物の竣工後3年間は毎年定期点検を行っているが、さらに5年と10年にも点検しようとしている。建築された建物を施工業者と訪問し、建物の全体的なチェックをする。その時問題が発見されればよいのだが、瑕疵担保責任後に電話がかかってきて不具合が見つかる場合もある。その時はクライアント、施工業者、設計者が誠意を持って話し合い、解決する方法を目指していく。


失敗は単純なことから始まる

「石丸の家」(『新建築住宅特集』1989年7月号掲載)は、予想できなかった失敗を起こしてしまった。
建物が竣工してクライアントが快適な生活を始め、家に馴染んできた頃、子ども部屋の押し入れから水が漏れ、水浸しになっているとの連絡を受けた。すぐに給水の元栓を締めてもらい、飛んで行ったが、車中いろいろと考えてみても何が原因か思いつくことができない。現場に到着すると、床上1cm位まで水が溜まり、隣の駐車場に水が流れ出している。
よく考えてみると、将来子どもが独立し2世帯になった時、もうひとつキッチンが必要になってくるので、給水管と排水管を先行工事として押し入れの床下に配管しておけば、後日簡単にリノベーションができるという考えで、給水管をプラグ止めし、押し入れの床板を貼り、給水管が見えない納まりにしたことを思い出した。
工事中は給水管に圧力をかけているのでうまく処理ができていると思いこんでいた。床板をめくると、給水管を止めたはずのキャップが無情にも浮かんでいた。その光景はいま思ってもゾッとするもので言葉も出なかった。

給水管の塩化ビニルパイプが透明の糊で止められていたためなのか、糊がしっかりと付いていなかったのか、うっかりした施工ミスではあるが、監理者としてはチェックを怠ったとしかいえない。クライアントの嘆きはただ事ではなく、信頼関係は大きく崩れてしまった。すぐに対応したが、新しい家がなぜか悲しく見えてきた。失敗は単純なことから始まる。建築は注意深く監理をすることが大事だと思い知らされた。その後、この手の失敗はない。


自邸だからできる内外コンクリート打ち放し

1970年代、都市住宅誌に掲載される住宅の多くはコンクリート打ち放しの住宅であった。断熱はない。内外コンクリート打ち放しで空間が成立している。床は板張りで仕上げられているが、壁・天井は打ち放しで構成されている住宅である。
現在はこの仕上げでは性能規定に合わない。
「101番目の家」(『住宅特集』2002年12月号掲載)は、コンクリート打ち放しと広葉樹の木柱が300mmピッチで不揃いに立ち、コンクリートの壁と連続する柱の外側に木製建具が外部を取り巻いている。

「101番目の家」東側外観 撮影:新建築社写真部

木とコンクリートが対峙した混構造が、室内と室外を区切っている。断熱材は入っていない。高気密・高断熱にはほど遠い仕様である。現在12年住んでいるが体が寒さに馴染んだせいか、冬の期間が短く感じられるようになってきた。春と秋の心地よさが、冬の寒さ、夏の暑さを忘れさせる家である。

「101番目の家」2枚のRC壁を介し、内と外が対峙する 撮影:新建築社写真部

他の人には勧められないが、スキマ風や、薪ストーブで火を見ながら暖をとるような昔の懐かしい家を思い出させ、性能だけでは評価できない部分に快適性があり、住み心地としては満足している。



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