AAΛY みんなあなたに祈ってる。【それは心に起こる編】第1話/裁かれる女
【聖書ベースの連載小説】格差社会、ブラック労働、不倫、“炎上”、聖書の世界は驚くほどに現代と似ている。もしも聖書の時代にSNSがあったなら、みんな、こんなふうに“つぶやいて”いた?(AAΛY=アーメン・アーメン・レゴー・ヒューミンの頭文字)【それは心に起こる編】は全7話。
日干し煉瓦の壁にあいた小さな窓から、星影が青く降っている。仮庵祭のにぎわいは去り、外は静かだ。
男の手が体を這い続けるので、時折あえいでみせねばならない。
あと少しの辛抱だ。
夜が明ける前に男は帰る。それまでは、みすぼらしい天井を眺め、前金で受け取ったわずかな対価の使い道を考えよう。
まずは麦。
七日におよぶ仮庵祭の間もずっと一人で薄い粥をすすっていた。久しぶりに粉を練り、かまどから立つ香ばしい匂いに満たされて、焼き上がったパンを頬張りたい。
わたしのことなどまるで顧みてくれないあなたでも、そのくらいはお赦しになるでしょう。
男は熱い息を吐き、また体をのせてきた。
律法に反するのは知っている。でもほかに、どうやって生きろというの。
幼い頃わたしの親を殺した強盗は?
物乞いをするわたしを犯して逃げた男らは?
助ける顔で体を売らせ、上前をはねた老女はどうなの?
なぜ彼らは罰せられないの。
わたしだって一応は、まともに働こうとしたんです。刈り入れの手伝いや、家事の下働きでもさせてほしいと、何軒も訪ねて回りましたよ。だけど、夫のある女は蔑んだ目でわたしを見るし、男はずるい。はじめはいい顔をしていても結局は下心があるんです。
どうかあなた、教えてください。わたしはどうしたらよかったの。
いけない。
男の前で涙を見せたら、余計に見下されるだけだ。
この男が再び果てて帰ったら、壁に印を一つつける。それまでは泣いてはいけない。
百か、二百か、壁に刻まれた疵を見て、意味を尋ねた客もいる。
今までにした恋の数、一本のアーモンドの木に咲く花の数、かなわなかった夢の数。都度、適当に答えるけれど本当は、流れついたこの空き家でわたしを買った男の数、わたしの犯した罪の数。
男はもうじき果てるだろう。
そのときだった。
腐りかけた板の扉が乱暴に開き、誰かが家に入ってきた。
一人ではない。二人、三人。埃が舞い、ランプの光が目に刺さる。
わたしを買った男は跳ね起き、素早く自分の衣を拾って逃げた。四角い尻が、一瞬、灯火に浮き上がり、外の闇に消えていく。
わたしは湿った寝床で半身を起こし、薄汚れたウールの上着で肌を隠した。
「女。姦通の罪でおまえを捕らえる」
ランプを持った男が言った。見たところ、神殿の下役たちだ。
わたしはため息をつき、ほつれた亜麻の衣を身に巻きつけて上着をはおる。今夜どこで寝ることになっても、生きていれば上着にくるまって眠るのだ。これはたった一つのわたしの財産。
外に出ると、朝の光が差していた。
見上げれば、街並みの向こうに神殿の丘がかすんでいる。てっぺんに白い巨大な壁がそびえ立ち、明けた空に映えている。あそこへ引っ立てられて裁かれる。そう思ったらほっとした。
陰府には何も持っては行けない。衣も、金も、装身具も、肉体も血の一滴すらも、何もかも脱ぎ捨てて、旅立たなくてはならないのだ。
富める者もわたしも同じ。みんな同じだ。
怖い?
そう、怖いけど、怖い以上にほっとする。
陰府にはわたしを貶める者も、辱める者もいないだろう。そこでは誰もが死者であり、もう、罪を犯して生きなくてもよいのだから。
そうでしょう、あなた。
(第2話へつづく)
※参考文献:『聖書 新共同訳』(日本聖書協会)
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