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盲目的な恋を教えてくれた土地、函館

はじめて函館というまちを訪れたとき、あまりの感動に言葉を失った。脳天を撃ち抜かれたような衝撃、経験したことのない身震い、つまり絶句。土地との出会いにそれほどの驚きが生まれるだなんて知らなかったわたしは、当時その感覚にひどく戸惑った。

2021年12月、誰しもが指折り数えてクリスマスを待ち望んでいるようなそんな日に、わたしは函館に落とされた。


訪れるきっかけになったのは、同年に上映していたある歴史映画だった。時代は幕末。戊辰戦争が描かれるなか、最後の戦いであった箱館戦争の様子を知ったときに、なぜだか「函館に行ってみよう」と思った。

その映画を、わたしはたった1ヶ月間の上映期間中に、映画館で6度観るほど虜になっていた。函館のことは正直あんまり知らなかった。立地と、五稜郭と、夜景が有名なことくらい。

それでも、歴史の世界で描かれる函館に興味が湧いた。いや、” 湧いた ” なんてもんじゃない。心臓が身体を突き破ってしまうんじゃないかと思うほどのもの。もはや『ジョーズ』でサメが出てくる前とか、『リング』で貞子が出てくる前とか、それくらいのゾクゾクとした期待感だった。

サンタクロースさんが数人登っていて、一人じゃないんだって思った日

いわゆる観光地と呼ばれるところはどこなのかも特に調べず、いつも東京で過ごしているような普通の過ごし方で函館を知ることにした。

定宿にさせてもらっている「HakoBA」
1932年に建設された「安田銀行函館支店」の建物を活用。雰囲気が抜群

ふつうに起きて、なんとなく外を歩いて、気になる店に入り、ごはんを食べて、仕事をする。それだけの、別に函館でわざわざ過ごさなくたっていいかもしれないような日常を送った。

コメダフリークなので、あたりまえのようにコメダにも行く
(この記事も、コメダ in 函館 で書いている)
北海道の友人が教えてくれた喫茶店、classic。
滞在中は複数回訪れることも
ご当地ハンバーガー屋さんのラッキーピエロ、通称 ” ラッピ ” 。
ごはんもさながら、店内がおもしろくてずっと見ちゃう
夜。あまりに儚くて、消えてしまいそうなくらいの雪道

だれかにとっては、どうでもいいくらいの日常だと思う。もしこれが「とっておきの思い出を残すための家族旅行」だったとしたら、0点の旅程だとも思う。そんなことはわかっている。

けれど、そんなどこにでも溢れているはずの、だれに自慢できるはずでもない函館で過ごす時間が、いちいちたまらなく愛おしくなった。だれかにわかってもらえなくてもいい。ここにいる間、わたしは全世界で一番しあわせなのだと、そう思ってしまったのだ。

函館で過ごす時間、その一瞬一瞬が永遠に続いてくれたらと本気で思うし、函館で過ごしている自分のことは、ほんの少し、これまでよりも好きだといえる。そういう感覚がある。

その理由をことばにするのは、とってもむずかしい。街灯が暖色なのがもの悲しくて情緒的だからとか、人との距離が遠すぎず離れすぎていなくて居心地がいいからとか、市街地がコンパクトで市電や徒歩で行ける場所が多いからとか、山と海の距離が近くて目に入る自然が美しいからとか。まあそれなり表現することはできるのだけれど。

盲目的な恋。それが、函館に対して抱いた感情を表現するのに、もっとも適しているフレーズだと思う。

もっといえば、独占欲とか、嫉妬とか、そういう感情にも近い。自分以外の誰かが自分よりも函館を愛すこと、知ることを許せない、という激やばな感情まで生まれたことがある(補足するが、あくまで「ことがある」ってだけなので……)。

たかが数回訪れただけでなんだ、と言われるのなんて重々承知だ。そりゃあそう。だから、冒頭にも書いたように、戸惑ったのだ。

2017年から、旅をしながら生きてきた。毎月、どこかしらの土地に訪れることを「日々」にしていた自分にとって、函館という土地が与えてきた衝撃は、たおやかな景色とは裏腹に、あまりに大きすぎて受け止めきれなかった。

函館山を背に、ベリエリアから見る景色が好き

はじめて函館と出会った日から、約2年が経過した。そのあいだに函館には5回訪れていて、春、秋、冬の函館を見た。毎回の滞在が、もはや白昼夢だったのではないかと思うほどセンチメンタルな記憶になっている。

これだけあーだこーだと書いているのだから、毎度の滞在はよっぽどワクワクした気持ちで迎えていると思われるかもしれないが、実際のところ、渡航前はいつも羽田空港で吐きそうにもなっている。

それは、恋い慕うほどに愛おしいと思った函館に対する感情が、虚構だったらどうしようかと恐れてしまうから。次に降り立ったときに、まったく愛情が湧かなかったらどうしようかと不安になるから。もはや、正気の沙汰ではない。

けれども、少なくとも今のところは、毎回の滞在が都度自己ベストを更新してくれている。函館に足を踏み入れるたび、ただそこにあるだけの大地を愛でまくる人間が無事誕生している。もはや、正気の沙汰ではない(二度目)。

友人が取材をしていて、「いつか」と思っていた、ティーショップ夕日。
なぜか朝イチで伺ってしまった

この話には、残念ながらつづきがなくて、ここでおしまいだ。ふつうだったら「だから、移住します」とかそういうエポックメイキングな流れが必要なものだけれども、特にない。

ただ単に「函館が好きだ」という話が書きたくて、きっとこれからもっと好きになるという話を書きたかっただけなので、悪しからず。いずれ暮らしてみたいという思いはあるし、できるだけ函館のことを知りつづけたいという思いもあるけれど、渡航と居住がまるで違う感覚になるってことくらいはわかるから。

わたしはまだ、会いたい土地に会える高揚感や、独特の不安ともしばらく付き合っていたい。だから、勝手に独占欲を抱いているだけのご近所さんくらいの距離感になれたらいいな〜なんて思っている。土地とどう関係をつくっていくのか、それを考える時間も渡航の醍醐味だといえるから。

けれど、函館に訪れなければ知らなかった感情があって、ここにいることが自分に与えてくれる幸福感はすさまじい。それに気づけただけでも十分に価値があるのだし、生きていてよかったって、心からそう思えるのだ。

決して十分ではない人生という時間のなかで、函館という無二の土地と巡り会えたこと。わたしにとっては、それがかけがえのないしあわせで、譲れないよろこびだ。

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