1.ソ連との出会い③

1989年、大学に入学した年の夏、はじめての海外旅行にでかけた。

行きと帰りの航空券だけとった、一か月ほどのヨーロッパ。
決めていたのは、高校時代からの文通相手
(当時はEメールなどというものが発達していなかったので
昔懐かしいsnail mailの文通だったのだ)のイタリア人、
2歳ほど年上のミケーラと、50歳代の英国人ロンと
それぞれイタリアのコモ、英国のサフォーク州で会う約束をしていただけ。
あとは、その日まかせでシンガポール航空でギリシア入り、
アテネで2,3日過ごして船でイタリアのブリンディシに渡り、
ローマからミラノに上ってミケーラに会い、彼女の実家に泊めてもらい
スペインはバルセロナ、ドイツはフライブルグとミュンヘン、
オーストリアを通ってチェコスロバキア(当時)のプラハ、
ベルリン、オランダ、英国、英国からシンガポール経由で帰国と
だいたいこのような道行だった。

それぞれいろんな出会い、経験があったけれど
とくに印象深かったのはベルリンで電車に乗っていて
西ベルリンから東ベルリンに行ってみたかったのだけれど
電車内で隣のひとに
「東ベルリンに行くには、どうしたらいいの」
と訊くと
「ここが東ベルリンだよ!」
と言われたこと。
だって、出発前の情報では、パスポート審査が必要、とあったから。
当時はものすごい勢いで東側が瓦解していたのだった。

出発前におすすめをきいたアメリカ人のチャーリーが
「プラハは絶対行くべき」
と言っていたので欧州について情報収集したところ、
オーストリアで簡単にビザがとれるということだったのでそのようにして
あてもなく、飛び込んでいったプラハでは、忘れられない経験をした。

まずは列車でプラハを目指したのだけれど、
コンパートメントは両親と子供たちの一家のなかに、わたしがひとりまぎれこんだ感じ。
数時間の汽車の旅で、言葉はまったく通じないけれど
なんとなく親しい雰囲気になっていた家族
国境を越えたところで、軍服のようなものを着た役人のようなひとがやってきて
「チェコのお金を持ってるかい?」
と訊かれ、まったく知識のなかったわたしは
「はい」
「あ~、言ったらダメ!」
と家族が注意してくれたが、時すでに遅し。

チェコではレートが悪いので、オーストリアで両替すべし、と学んで
1万円ほど両替していたのですが、
チェコスロバキア国外で換金したものは違法、ということで没収されるのだということを、のちほど知りました。
いまの時代なら、ネットで調べてぬかりなく対応できたろうになあ。

役人は、家族ににらまれながら、汗をふきふき没収の手続きをしていきました。

プラハに到着して下車する際、家族はおいしいゴーフルのはいった缶をくれ、
私は記念に日本から持って行っていたミニうちわにメッセージを書いて渡しました。

それだけが頼りの「地球の歩き方」を頼りに
駅のあっせん所で、プラハの大学寮を夏の間だけ、宿として開放しているところを予約でき、プラハ駅からまたいくつか先の駅で降りると
まだ21時ごろだったと思うのですが
オレンジ色の街灯の下には、ひとっこひとりいない。
地図を頼りに歩きだすが、これであっているのか、不安は増すばかり。
そんななか、大きなバックパックを背負った男性に出合い、
ここで声をかけぬともう誰にも会えないぞ、という切羽詰まった思いから話しかけてみると
そのイタリア人男性VITOも同じ宿をさがしているということで
ほっとして一緒に歩きだし、しばらく行ったところで
2人の男性が立ち話をしているところに出くわしました。

彼らに訊いてみると、ひとりが「送ってあげるよ」
と快く車に乗せていってくれたのです。
この親切は身に沁みました。
いまでも、旅行者のひとには無意識にできるだけのお手伝いをするのは
この有難かった経験が原点にあるのかもしれません。
彼らは、東ドイツからの出稼ぎ労働者とのことでした。

無事宿につき、それから数日間すごしたプラハでVITOと多く過ごしました。
一緒に歩いた広場でThe Velvet Undergroundの"Rock'n Roll"が路上演奏されて人だかり、わたしはすっかりエキサイト。
「ここには毎年きているけれど、去年までは規制があってこんなこと(路上演奏)
できなかった。こんなのを見るのは初めてだ」
とVITOが言っていました。

数年後、ルー・リードの詩集を買ったなかにあった
チェコのハベル大統領が投獄されていたときにVUの曲で希望をつないでいた…というのを読んで、感無量でした。

ちょうどその時期にストーンズのコンサート(Urban Jungle Europe Tour)
がある、VITOやその友達はそのために今回来てコンサート当日集合する、という話をききました。
ポスターを貼ってある街中のオフィスにはいってみると、チケットはあっさり買えました。
そこで当日、VITOとそのイタリア人、英国人、カナダ人、スロベニア人、韓国人…いろんな人種や国籍の、総勢20人以上の仲間が集まって、みんなでぐだぐだビヤホールで飲んだり食べたりぶらついたりした挙句、会場であるスタジアムに行き、わたしはもともと外野席だったのですが、「余っているから」とメンバーがアリーナ席のチケットと交換してくれたので、みんなと一緒にすきなだけ前に行ってコンサートを満喫しました。

このヨーロッパの旅では、
・いきあたりばったりでもなんとかなる
・自分の常識にはないことが、世の中にはたくさんある
・いいひとを見抜くセンス
を学びました。

そして、変わりゆく東欧を肌で感じられたのは、ほんとうによかった。

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