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シノという人格について

シノは、本名となんの関係もない。noteのために作った名前だ。
noteは、最初は中学生の頃から使っていたハンドルネームでそのまま始めたのだけれど、いろいろあってそのTwitterアカウントを閉鎖することを決めたので、新しく名前をつけた。

私はカタカナで、短めで、なんとなく中性的なハンドルネームをつけるのが好きである。
私がインターネットビギナーの頃によく見たハンドルネームは、無駄に難しい漢字を使った読みづらく変換しづらい名前ばかりだったので、読み仮名を聞く必要がなく、変換も簡単な、カタカナの名前を愛用している。
それに、自分の本名って、漢字やひらがなで書くことはあっても、カタカナで書くことってまずない。カタカナの名前ほしいなぁ、と思ったのだった。

シノという名前に、特に意味はない。響きのきれいな名前をつけたかっただけだ。
漢字で書くなら「詩乃」かなぁ、とぼんやり思っているので、江國香織の一番好きな小説『東京タワー』の登場人物、詩史(しふみ)さんに影響を受けている可能性は否定できない。

「シノ」は私であって私ではない。
私の一部を切り取って、なるべく私の理想像に見えるように、汚いところは見せないで、形を整えて、人に見せたい形をつくったものだ。
「シノ」は凪のように静かで、落ち着いている。怒ったり泣いたりすることはあっても、感情をそのまま文章にぶつけるのではなく、こういうことがあって苛立った、悲しかった、と、淡々と言葉を紡ぐ。分析するように。俯瞰するように。

実際の私はそうではない。感情的で、主観的で、子供のように駄々を捏ねることもあるし、泣いたり喚いたり落ち込んだり不安になったり、日々ジェットコースターのように感情がめまぐるしく動いている。
気に食わない相手の短所をあげつらって仲間内であざ笑ったりもする、醜い人間である。汚い言葉も使うし、出勤日の朝は職場爆発しないかなと思っているし、本の話や音楽の話をして文化的な匂いを漂わせておきながら、実際は日がな一日こたつでぐうたら昼寝する毎日である。

「シノ」は、そんなみっともない平々凡々なアルバイターの私が、ネットの中だけでもきれいな人間でありたくて、江國香織みたいになりたくて、作り上げた人格である。
だから更新通知用のTwitterはほとんど呟かない。たまに生存報告のためにと義務感に駆られて呟くが、散歩している犬が可愛かったとか、いい天気なので洗濯物を干したとか、毒にも薬にもならないことしか言わない。

嘘ではないけど真実でもない、どろどろの煮凝りの上澄みだけすくったようなそんな文章でもよければ、これからもどうぞよしなに。

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