見出し画像

第二進化(論理): 概念は群である

 第二物理進化である「文字」を手に入れたヒトは、読み書きをすることで文明を構築し始めた。文明社会の中で、家族の世話や政治活動、経済活動から免れ、学園や僧院でひたすら勉強ばかりする人々が生まれた。彼らは静かな環境で様々な事象を考察した。

 春秋戦国時代を生きた孔子や孟子は、特定の国の政治に関与せず、多くの弟子たちを教育した。ソクラテスも、仕事にはつかず、いろいろな人と対話を重ねた。形をもたない、抽象的な言葉を、ゆっくり、くり返し思考し、思考操作の評価の記憶が積み重ると、概念が浮き彫りになった。コペルニクスは静かな修道院生活のなかで地動説を発見し、メンデルも修道院で遺伝学の出発点となる研究を行った。

 静かさは、古典的な通信理論である信号対雑音比(S/N)に、ダイナミックに反映される。雑音(Noise)が分母にくるので、雑音が10分の1、100分の1になると、思考能力は10倍、100倍と反比例する。雑音がゼロに漸近すると、S/Nは無限大に近づく。

 デジタル通信理論において、頻度(回数)や速度もS/N同様に情報処理能力を左右する。読書百遍という言葉のとおり、くり返しは能力を高める。10回くり返すと10倍、100回くり返すと100倍の能力向上が得られる。逆に速度は反比例の関係で能力を高める。速度が10分の1になると、能力は10倍、100分の1だと能力は100倍。

 こうして学園や修道院のような静かな環境で、ゆっくりと、くり返し思考することで、ヒトの思考能力は軽く100万倍にも1億倍にもなる。それが哲学概念や科学概念を生みだしたのだ。

概念とは何か

 概念とは何かと聞かれて、即答できる人はいないだろう。新明解国語辞典にも「『〇〇とは何か』ということについての受け取り方」と、ぼんやりした説明しかない。不明解である。

 たとえばラーメン評論家が「これはラーメンの概念を打ち破った!」と言うとき、「自分がこれまで知っているラーメンとは違う、今まで食べたことのないラーメンだが、ラーメンとして認める」という複雑で深淵な意味を含んでいる。つまり概念には、長年経験を積んできて、自分なりに獲得し構築した法則や評価基準が含まれている。経験の浅い素人は、概念をもたない。

 つまり、概念とは、我々が思っている以上に複雑で、威力のあるものなのだ。 

概念を操作する

 概念の特性や威力を理解して使うと、人間の思考能力は大いに高まる。これは哲学や科学を学び、学んだことを活かし発展させるためにとても重要なことである。どうすれば正しく概念を使えるのか。

 ピアジェは『知能の心理学』のなかで、群論について様々な議論を展開している。何度も繰り返し読んでいるうちに、ピアジェは、概念が群であることを数式で表現したのではないかと僕は思った。言葉が群の論理で記憶と結びつくのが概念ではないか。

 五官で感知できない現象について考えるには、概念操作して考えるしかない。不可視の科学的現象の考察をするためには、概念が群の要件を満たしていることを吟味すれば、有意な結果がえられることになる。

  どうやって吟味するのか。ピアジェは合成性、可逆性、連合性、一般同一性、特殊同一性などの式を示して、群であることを確かめようとしていた。これが参考になるだろう。

ピアジェ『知能の心理学』に登場する群に必要な条件式

 

 

トップ画像は、荒川修作の意味のメカニズムから。「レモンのあいまいな地帯」(部分)

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?