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デジタル言語学とは何か!?

 デジタル言語学とは何だろう。 ホモサピエンスを生みだす技術である。

生命のデジタル進化の最終段階

  僕は、「デジタル」を「自動的に進化して複雑化するもの」と定義する。バクテリアが真核生物へと進化(20億年前)し、単細胞生物が多細胞生物へと進化し、脊椎動物が、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類(6600万年前)へと進化して、段階的に複雑化した地球上の生命の系統進化のメカニズムがデジタルである。また、一個の受精卵が、細胞分裂を繰り返すことで、独立した複雑な生命体が生まれる個体発生のメカニズムもデジタルである。

 この生命進化の延長に、哺乳類の音声コミュニケーションがあり、6万6000年前に、喉頭降下がおきて母音をともなう音節を発声するようになった言語的人類が生まれた。つまり、ヒトも言語も自然の一部である。

 音節は周波数離散成分(音素)と時間離散成分(拍)をもつデジタル信号だ。時間がたっても消えなくなった音節が文字であり、電子化のおかげでインターネット検索が可能となった音節がbitである。今、我々は、ある言葉を検索エンジンに投入すると、そのことに関して有史以来議論されてきたこと、考えられてきたこと、発見されたことと結びつくことができる。

 音節==>文字==>bitという信号の三段階進化にともなって、時空間を超えた共進化である文明が生まれ、静かな僧院や学園のなかで群論理にもとづく概念操作が生まれ、先人の思考の誤りを正す前方誤り訂正が生れて、今、ヒトはようやくホモサピエンス(知恵ある人)になる段階を迎えている。

 

 純粋な知的好奇心をもつ

 

 ホモサピエンスになるには、なんにでも興味を示す子ども心をもつことが必要だ。小さな矛盾も見逃さず、何かを発見したら、他のことを忘れて、そのことに集中する。

 新たなことを知ることは喜びである。学ぶ楽しさ、語り合う楽しさは、論語の冒頭の言葉にもある。「学びて時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや。朋あり、遠方より来る、亦楽しからずや。人知らずして愠(いきど)おらず、また君子ならずや。」人のために学ぶのではない。自分の楽しみとして学ぶ。それを生涯続けるのが君子の生き方だ。

  僕たちの意識は、いったん誤りを受け入れると、それが自分の意識を形成するために誤りを正すことが非常にむずかしい。そのおかげで、人類は多くの過ちを犯してきた。これを乗り越えるためにも、疲れを知らない子ども心が大切だ。

 

前方誤り訂正

 

 僕たちは、自ら試行錯誤して学びとることもあるが、多くの知識や情報を他者から受け取る。学校や家族や友人からのこともあれば、本やテレビなどメディアから受け取ることもある。その多くは、別の人からの知識の受け売りであり、自分で発見した知識ではない。こうして現代社会において、知識伝達は伝言ゲーム状態を生み出している。

 これまでの学習はアナログだった。アナログ方式は、知識や情報に含まれている歪や誤りを識別して、訂正できない。丸ごと受け入れるしかない。僕たちは、正しいことの証明がない知識を前にして、それを受け入れるか、拒絶するかの二者択一を迫られる。受け入れると自分も伝言ゲームに加わることになる。

 言語情報の電子化は、過去の言語情報を探し出すことが容易にした。誰かがある知識を提示したとき、その人に対して、「これはあなたが自分で考えたことですか。それとも誰かから教わったのですか」と聞く。そして自分で考えたことなら、思考過程を教えてもらう。誰かから教わったなら、その人が自分で考えたことか、受け売りかを確かめる。過去へ遡ることができないときは、信頼性不十分として、その知識を受け入れない。

 すると、自分が受け入れるすべての知識を第一発見者の思考と体験に照らして確かめることができる。読者は、第一発見者が書き残したことを追体験することで、誤りがないことを確認できるし、もし誤りを発見したときは、自分が第一発見者になり代わって誤りを訂正できる。そしてその知識をさらに発展させると、ホモサピエンスになるのだ。

 進化の最終段階にいる今、僕たちは言語のデジタル性を理解する必要がある。
 

トップ画像は、養老天命反転地オフィス

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