第三者が動き始めた

先日、電車の中でグズる幼児がいて、親に対して「静かにさせろ!」と怒鳴る高齢男性が話題になっていた。私が嬉しかったのは、その場で割って入った「第三者」が結構いたらしいこと。ああ、よかったなあ、と思う。

これをつぶやいたのが2019年の夏。このツイートがバズるまでの電車の空気って、グズる赤ちゃん、やかましい幼児を黙らせるのは親の仕事、という圧力が強かった。それでいて第三者は介入しなかった。一つの理由に、第三者はどう振る舞えばよいのかわからなくなっていたらしい。
https://grapee.jp/716683

事実、このツイートに対して、「第三者でも子育てに関われる方法があったんですね」とか、「次に似たような場面があったら試してみます!」というご意見が複数あった。泣いてる赤ちゃんはどうしょうもない、やかましい幼児もある程度仕方ないと思いつつ、どうしたらよいのか悩んでいたという。

そこで、私は第三者が、いかに教育において大切な役回りかを言語化しようと試みた。それがこの記事。親にも先生にもスクールカウンセラーにも決してできない、第三者ならではのアプローチがある。チャンスがあれば、できる範囲でよいから試みてほしいと願いながら。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58764

世の中には、ゴネて話をややこしくする人がいる。冒頭の老人もその一人と言えるだろう。そうした人への対処法は?ということでまとめたのがこの記事。当事者は渦中にいてもはや事態を改善できない。そんなとき、第三者が介入するとすんなり話が通ることがある。

ほんのしばらく前まで、「余計なことせんとこ、こじれて絡まって面倒くさくなるだけだし」という人がすごく多かった印象だけど、「いややっぱりおかしいやろ」と思った人が、行動するようになってきた感じがする。第三者だからこそできる役回りがある、いっちょやってみよ、という人が増えて来たかも。

そうした試行錯誤をやってみる人が増えてきたら、この世の中はもっと面白くなるように思う。無理のない範囲で、「でも、やれそう」と思ったら、試してみてほしい。あくまで無理のない範囲で。

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