人間に対しても有機農業

高温多湿で病気も害虫も増えやすい日本では、恐らく化学農薬を一定量使い続けることは必要。化学肥料がないと十分な食料が作れないというジレンマも。そうしたジレンマを抱えた現実を承知しながらの有機農業推進なら賛成。

日本では有機農業がかなり難しい。二十年以上前、中国の山東省の農村に行って驚いた。雑草が見当たらない。近くの山もほぼはげ山で、緑がまばら、土が露出。畑だけが作物で青々と。雨が少ないらしく、水がないから雑草も生えてこない。作物だけは用水路から水をもらえるから育つ。まるで砂漠。

雨が少ないと雑草が生えず、雑草もないから害虫も病原菌も根城にするものがない。後は農家がマメに虫を潰せば農薬なくても作物だけが育つ。乾燥気味の環境だと有機農業は容易になるんだな、と痛感した。
かたや、高温多雨な日本は、雑草だらけ、病原菌や昆虫はパラダイス。

農薬をかけ、畑の病害虫を一旦は駆逐しても、雑草に潜んでいた病害虫が再襲来。雑草は刈っても刈っても雨が降るし高温でもあるからすぐ生える。かと言って雑草を根絶やしにすると雨が激しいから土壌が流れて失われ、土砂崩れの原因になりかねない。どうしようもない。

日本の高温多雨な環境では、病害虫の被害が一定程度避けられない。被害を最小限にしようとすると、一つの作物を大面積で、ではなく、混植したりナニしたり、手間のかかることをする必要がある。病害虫にやられにくい旬に育てる必要もある。でも、旬は大量に作物が出回るから価格が下がり、儲からない。

今の日本は食品ロスもあるから肥料となる生ゴミもたくさんあるように見える。けれどそれだけ食料であふれかえるのは、化学肥料のおかげの面がある。もし化学肥料がなければ、果たして現在の量の食料を作れるかどうか。有機肥料は化学肥料のお陰でたくさん生まれてるが、化学肥料が無ければどうか?

恐らく、化学肥料がなければ世界の人口は半分しか養えない。国土の狭い日本は三千万人分しか食料を作れない。一億二千五百万人もの人口を養うには、当面、化学農薬と化学肥料の力を借りる必要がある。その現実を踏まえる必要がある。

だから、有機農業を称賛して化学農業(慣行農業)してる人を見下すことはおかしいように思う。慣行農業は、足りない食料を作り出す、大事な機能を果たしている。だから一定のリスペクトを失わないようにして頂きたい。その上で、有機農業の方向へ徐々にシフトしていくことを目指して頂きたい。

ちょいと困るなあ、と思うのは、時々見かける攻撃的な有機農業推進派。化学農業を続ける農家を激しく攻撃し、まるで悪魔のように罵る。どうも、有機農業は変わり者扱いされ、虐げられてきたことへの怨念が強いらしく、みどり戦略などの勢いを借りて報復に出てる感じがする。けれど。

こうした攻撃的な姿勢は、本来の有機農業から遠く離れた態度のように思う。有機農業は、害虫にも生きる権利を認め、排除しようとしない寛容な農業のはず。しかし化学農業をする人たちへの攻撃は、まるで害虫を根絶やしにせずにはおかない化学農薬のような態度。まるで化学農業のような厳しさ。

有機農業を目指す人は、人間に対しても有機農業であってほしい。いろんな人間がいて、いろんな事情を抱えている。その人たちにも事情があるからそうせざるを得ないのだろう、と理解を示してほしい。その寛容さがあれば、有機農業は人間的にも素晴らしい経営形態になるように思う。

消費者も、日本のように有機農業がし難い国土で、あえて有機農業に取り組む農家を評価し、適切な価格で購入し、応援してほしい。しかしそのためには、有機農産物を購入できる経済的ゆとりが大切。そのためには、非農家の懐が温かいことが大切。そのためには非農業の産業が元気であることが大切。

非農業の産業を興し、非農家の収入を増やし、有機農産物を購入できるゆとりを生み、徐々に有機農業を広げていく。それまでは、慣行農業の役割も重要。いろんな力を結集して、これからの時代を切り開いて行かなければならない。

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