スポーツも学ぶことも、楽しめばよい

アメフトの監督が、選手に命じて相手チームの選手を意図的にケガさせるような行為を働いた事件があった。その直後、命じられた選手は慟哭してる様子が映されていた。本来、楽しいから始めたはずのスポーツなのに、勝つためなら望まぬことにも手を染める、倒錯した世界に。実におかしな話。

それが勝負の世界だ、とされてきた。勝つためなら汚い手段でもとらねばならない、とまでいう人も。でも、そんなスポーツ界に衝撃を与える出来事が。
オリンピックでスケボーの選手たちは、純粋に競技を楽しんでいた。勝敗や順位を超え、国も敵もなく、一緒に競技を楽しむ。互いに健闘をたたえあった。

スポーツ界に身を置いている人たちは、かなり衝撃を受けたらしい。日本のスポーツ界を牽引する室伏氏や為末氏は、「スポーツは本来、こうあるべきなのではないか?」と強く感じたらしい。柔道では、小学生の全国大会を取りやめた。まだ体ができてない時期に勝ち負けにこだわることの愚を痛感して。

今、スポーツでは「楽しむ」ことを重視する機運が高まっている。子どもの頃は体育が大嫌いだったけど、大人になってマラソンや自転車など、体を動かす快感に目覚めて、スポーツを楽しむ人が増えている。ということは、これまでのスポーツの指導の仕方に大きな問題があったのではないか?と反省が。

今年、甲子園で優勝した慶應は、監督が「楽しむ」ことを重視していたらしい。勝つことばかりに血道を上げるのではなく、楽しむこと。楽しんでいれば自然と練習にも身が入り、上手くもなる。そうした考え方が、高校球児にも広がれば、と願っていた。

私の世代は、まだ古い考えが残っていて、いかにつらく苦しい訓練を乗り越えねばならないか、それを乗り越えて初めて次の世界が見えてくる、という教育観が、スポーツでも勉学でも強かった。四合五落(睡眠を四時間に削れば合格するが、五時間以上寝たら不合格)などと言われたりした。今思えば不合理。

私は、学ぶことも楽しめばいいのに、と思う。わざわざ苦行にすることの、意味がわからない。学ぶことは本来楽しいこと。知らないことを知り、できないことができるようになり、わからないことがわかるようになる。これらは本来、すごく楽しいこと。

二人の子どもを育てるにあたり、学ぶことを楽しんでほしい、と考えている。学ぶことは死ぬまで続けられる、とても楽しい遊びだから。
幼稚園に入る前だったか、息子が「学」という感じを見て「あそぶ」と読んだ。なんで?と聞くと、「まなぶことはたのしいから」と、ヒラヒラ踊りながら言った。

うちではマンガもテレビもゲームも、読書や学ぶことと区別していない。そのせいか、「ご飯だよ!いいかげんに本を読むのをやめなさい!」と叱ることしばしば。うちの子らにとって、読書はゲームやテレビと違わない娯楽になっている。

他方、テレビやマンガ、ゲームからも学べる。そんなふうに私もYouMeさんも考えている。実際、私自身もマンガから学んだことが数多い。テレビも新知識を教えてくれたりする。ゲームは攻略というのを稽えなければならない。どんなことからも学びはある。

どんなことにも学びがある。どんな学びも遊びである。学びと遊びのかきねをなくしたら、子どもは実によく学ぶ。小学校入る前の子どもは、ものすごい勢いで吸収するけど、それは学びと遊びの区別があいまいな時期だからのように思う。

ならば、小学校に上がったあとでも、学びと遊びに区別を設けなくてよいように思う。息子(小5)や娘(小2)はマンガや本からたくさん吸収してるので、学校で学ぶようなことをだいたい把握していたりする。でも、受験勉強してるわけじゃないから抜け穴だらけ。で、それなりに授業も楽しいらしい。

あらかじめ親しんでるから、楽に習得できるみたい。息子も娘も、マンガだけど中学数学や国語、英語、理科などを楽しんで学んでいる。その他にもいろんな本を読んで、深く広くマナンで楽しんでいる様子。学校(公立)は、そうしたチャランポランな学びの穴を埋めてくれるので、これもまた楽しいらしい。

まだ小学生だからこれからのことはわからないけど、学ぶことを今後も楽しんでくれたらよいと思う。受験の結果はどうであれ、生涯学ぶことを楽しむ人間に育ってくれれば、それでよいと考えている。学ぶことは、とても楽しい遊びだから。

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