「神の手」考・・・小魚を煮るがごとく

アダム・スミス「諸国民の富」を読む前、「スミスってのはとんでもねえやつだな」と思っていた。戦前は自由主義を、平成に入ってからは新自由主義を生み、神の手に任せておけば万事うまくいく、といって雇用が減るに任せ、低賃金化が進むのに任せ。スミスはその親玉だと思っていた。

ところが読んでみると、印象がガラリと変わった。堅実。ともかくよく観察する人。社会の経済現象を非常にたくさん収集し、なぜそれが起きたのかを分析している。経済を、非常に現実主義的な観点から見つめた人なのだな、という印象。さて、「神の手」なんだけど。

スミスの言いたかったのは、「政府がこまごま口や手を出すな」ということだったらしい。当時のヨーロッパは重商主義と言って、国家が商売に深く絡んでいた。で、ちょっとでもたくさん儲けようとして、政府がやたら商売に口出ししていた時代だった。スミスは「マイクロマネジメント」を戒めていた。

このスミスの考え方に一番近いのは中国のことわざ「大国を治むるは小鮮を烹るがごとくす」だと思う。小魚を煮るとき、あまり箸でつついたりかき混ぜたりすると形が崩れてしまうから、あまりいじっちゃいけない。大きな国を治めるときも、マイクロマネジメントしちゃだめだよ、と戒めた言葉。

アダム・スミスの言いたかったことは、この老子の言葉とそっくりだと思う。小魚を煮るときはあまりいじっちゃいけないように、商売がうまくいくようにするためには、こまごまと口や手を出すマイクロマネジメントはやめときなさいよ、ということだったのだろう。私はこの点、大いに同意する。

これは子育てにも通じる。親がこまごまと子どもに口出し手出しすると、子どもは嫌がる。やがて反発する。かえって手を焼くことになる。小魚を煮るときのように、あまり細かく口出し手出ししないようにすることが大切。それよりは見守り、待ち、子どもが能動的に動き出したときに「驚く」方が良い。

これは部下育成にも通じる。上司がこまごまと部下に口出し手出しすると部下は嫌気がさし、でも上司に逆らえないものだから無気力になり、自分の頭で考えなくなり、指示待ちになる。それよりは、部下が能動的に動くように環境を整え、その時が来たら「驚く」ようにしたほうがよい。

つまり、スミスの神の手(見えない手)は、「マイクロマネジメントしないほうがかえってうまくいく」という戒めとして理解したほうがよい。
さて、この観点から考えると、自由主義、新自由主義の問題が見えてくる。スミスの言葉を拡大解釈しすぎだ、ということ。

新自由主義(日本でここ20年以上普及した考え方の場合)は、スミスの言いたかったことを超えて、放任主義になっている。「小魚を煮る」には、少なくとも鍋の中に小魚を入れて火にかけることは必要。でも新自由主義は、小魚が自ら鍋に入るし、何なら火にかけなくても鍋は煮えると期待している。無茶。

子育てで言うなら、子どもが危険な方向に進んでも「競争原理だから」と放置するようなもの。部下育成で言うなら、何も教えないで顧客にものを売って来い、と放り出すようなもの。どちらも無茶。新自由主義は、それに近い主張を繰り返すことが多い。どうも無茶要素が多め。

アダム・スミスは、そんな拡大解釈を許していると思えない。もしスミスが現代に生きていて、新自由主義者たちの主張を聞いたら「私の片言隻句をよくもそこまで拡大解釈したなあ、一緒にせんといてくれ」と文句を言うように思う。

小魚を煮るには、せめて小魚を軽く洗い、均一に煮えるように鍋に並べ、火加減も調整して、生煮えにならず、しかし煮え過ぎないように注意して見守ることが必要。でも気になるからといって小魚を細かくいじらない。それが大切。アダム・スミスが言いたかったのも「小魚を煮るがごとく」だろう。

コロナが流行するまで、日本を支配していた新自由主義の考え方は、恐らくアダム・スミスが生きていたら「荒唐無稽」と切って捨てたように思う。スミスは現場で起きている事象を取材する人だったから、新自由主義がもたらしたひずみを次々に列挙し、どう改めるべきかを提言しただろう。

私は、人を大切にしない新自由主義の側面を嫌っているが、アダム・スミスの真意であろう「小魚を煮るがごとく」という視点は、完全同意。その意味では、私は(旧来の)社会主義、共産主義ではうまくいかないだろう、と思っている。

これまでの社会主義、共産主義は強権主義で、マイクロマネジメントに陥りがち。小魚いじりまくり。これではうまくいくものも行かなくなる。国家を運営するのに「小魚を煮るがごとく」はとても重要。

私がケインズ流の修正資本主義を比較的高く評価しているのは、「小魚を煮るがごとく」を軸に置いた社会設計だと感じるから。もし「小魚を煮るがごとく」の精神を共有できるなら、別にケインズ流にこだわるつもりはないけれど。

小魚を煮るには、最低限の手間暇と、火加減などの環境維持が重要。そして煮えるまでの時間を「待つ」ことも必要。口出し手出しを控えることも重要。つまり「小魚を煮るがごとく」とは。

・必要な手間暇は惜しまない。
・自然にことが進むための環境整備を怠らない。
・上記2つが用意できたら口出し手出しを極力控える。
・良い結果、あるいは悪い結果が出るまで「待つ」。
・危険なことが起きそうなら修正をためらわない。
・望ましい結果が出たら「驚く」ことで再現性を促す。

アダム・スミスの言いたかったことは、こういうことだろうと思う。スミスの言葉を正確に受け取らないと、ひどいことになるなあ、と思う今日この頃。

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