本を読め、勉強しろと期待するからしなくなる

東大京大など、旧帝大の学生に話を聞くと「勉強しろと言われたことがない」がほとんど。「もともと勉強できるから言われずに済んだんだよ」と思う人が多いかもしれない。それはそうかもしれない。しかし同時に、「勉強しろと言われなかったから学ぶことを楽しめたのでは」とも思う。

実際、学ぶことを楽しんでるから、学校の教科書にとどまらず、本や図鑑をたくさん読んだりしている。教科書に書いてあるような内容はその「ついで」に学んでしまっている。
こういう話を聞けば「そうか、本や図鑑を読ませればいいんだな」と思われるかもしれない。しかし同時に旧帝大生は。

本を読めとも強いられたことがない。自分が読みたいから読む。知りたいから読む。本を読むことも楽しいから読むのであって、親から強制されたからではなさそう。そういうと「もともと本を読む子だったから言う必要なかったんだよ」と考える人もいるかもしれない。そうかもしれない。だが。

誰からも強いられなかったから読書を楽しめたのでは?という仮説が思い浮かぶ。それが果たして妥当なのかは、きちんと調査しないと定かではない。けれど、子どもたちを観察し、我が子でも「実験」してみて思うのは、大人が変に強制したり期待したりしないほうが子どもたちは読書や学習を楽しむのかも。

なぜ本や図鑑を読むことを親が期待すると、子どもは本を読まなくなるのだろう?親が驚かなくなることに敏感に気づくかららしい。「この図鑑面白いよ。読んでご覧よ」という言葉から、子どもは
・親はすでに図鑑の内容を知っている
・親は得意げに、もっと詳しい知識を披露しかねない
ことに気がつく。

子どもは新しく獲得した知識を親に披露して「へえ、そんなことまで学んだの!」と驚いてほしい。しかし本や図鑑を親が勧めるということは、すでにその内容を知ってるから驚かず、もし図鑑の内容を話しても「それにはもっと深い話があってね」と、親の知識自慢に付き合わねばならなくなる。

子どもは瞬時にそれを悟って、読む気をなくすらしい。
それと、普段の接し方も提供してるかも。日常の発見を重視せず、図鑑や本など活字の知識を重視する姿勢があると、子どもはつまらなくなりやすいらしい。日常の発見で親を驚かすことができた経験があり、それを図鑑や本で再発見したとき。

親を驚かすことができた体験が再現される。それを親に説明することで親に驚いてほしい。驚いてくれると、また図鑑や本から自分の体験したことを探そうとする。そのついでに新知識も仕入れる。それらも親を驚かすネタとして蓄積していく。そうした流れが、図鑑や本を読む楽しみになっている様子。

「これ、すごく面白いよ!」と強く勧められた本ほど読む気がしなくなる、というのは、大人でも経験があると思う。面白いものを発見する手柄を先取りされたような、「ね!面白かったでしょ!」と恩着せがましく言われることが予想できて億劫な気分になるような。大人でもそうした心理が働く。

子どもはもっと素直だから、露骨に反応する。親が期待するから、強いるから本や図鑑を読まないし、勉強もしなくなるように思う。本嫌い、勉強嫌いは、期待する人、強いる人がいるために起きる現象のように思う。

また、大人の側も、子どもが思うような反応を示さないことに腹を立て、「レッテル」を貼る、という報復をすることがある。あの子は本が嫌い、勉強しない子、宿題をしようとしない子。腹いせにレッテルを貼って、自分のいらだちを解消しようとする。

しかしレッテルを貼られた側の子どももまた、報復し返す。「そんなレッテル貼るのなら、お望み通りレッテル通りの人間になってみせようじゃないですか」と。レッテル貼りとレッテル通りの行動。こうして悪循環に陥る親子は多いように思う。そしてこの悪循環の出発点は、親の期待。

塾をしてる頃、親子と三者面談することを心がけていた。親御さんは謙虚さを示すつもりなのか、我が子のダメなところを列挙する。子どもは苦虫噛み潰したような顔してそっぽ向く。私は親御さんの話す悪口をみんなその子の長所に読み替えて、「君にはそんな面白いところがあるんだなあ!」と驚いた。

「お母さん、それはこの子の短所ではなく長所です。それをもっと伸ばしていきましょう」と言うと、子どもの顔が上がってくる。親御さんは、子どもの欠点だと思っていたことが長所だと言われて、徐々に「そう言われてみれば、この子にはこんなところもあって」と、素晴らしいエピソードが出てきたり。

私はそうしたエピソードにも驚き、「お母さん、この子はそれだけしっかりしてる。心配することないですよ。この子は必ず伸びる。だからもう少し待って下さい。この子にはいいところがたくさんある。それをどんどん伸ばしていきましょう」と言うと、「短所とばかり思ってたけど、長所とは」と驚かれる。

第三者からそんなふうに言われると、それまでレッテル貼っていたのを見直し、子どもをもう一度冷静に観察する気になるらしい。観察してみると、この子はこの子なりに頑張ってることが多々あることに気がつく。自分の期待が先行し、それに追いつかない我が子に不満を持っていたことにも気がつくらしい。

人間心理のややこしいのは、相手に期待することを「プレゼント」と思ってるフシがあること。期待するに値しない人間には最初から期待しない、期待するのはそれだけ相手を認めているから、認めているという「プレゼント」、恩恵を有り難がれ、というわけらしい。

もちろん、期待されて嬉しく、ますます期待に応えようと頑張るケースもある。しかし少なからずのケースで、期待されると気が重くなる。もし期待通りの成果が出せなかったらどうしよう?と不安が先に立ち、気が重くなることはよくある。気力を失い、やる気をなくすことも。

しかも、期待通りの成果を出してみたら「さすがオレの見込んだ人物だ!」と、自分の目利き力を誇って、そして期待「してあげた」ことへの感謝を要求されたり。それを聞くと「あなたの操り人形じゃない!」と反発したくなって、やる気を失うケースが少なくない。

子どもはむしろ、驚かしたいのだと思う。自分の成長で。できないことができるようになった、知らなかったことを知るようになった、そのことに。そしてそれで驚かすことができると、次の驚かすネタを探して学ぶ。鍛錬する。そうしたサイクルがあると、子どもはどんどん学ぶように思う。

冒頭に戻ると、もしかしたら学ぶことを楽しむ人は、子どもの頃に親がたくさん驚いていたのかもしれない。日常の発見に。日常の発見を本の中で再発見することに。親はもっと、驚くとよいように思う。昨日までと今日の違い、差分に、変化に。すると子どもは自然に、学ぶことを楽しむのでは、と思う。

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