山がちな日本でアメリカ式の大規模農業は可能か?

パネリストとして参加した時、「日本の農業も大規模化を進めたらよい」という方がいた。広大な耕地を一人の農家に任せ、何かあればドクターヘリで助けに行くようなシステムで、できるだけ少人数で食糧生産すればよい、と。アメリカはそのようにしているという。

日系ブラジルの方から話を聞くと、ブラジルもそうらしい。「農業しないか」と募集をかけ、広大な耕地が広がるところに何軒かの農家の家が並び、契約通りの大面積をごくごく少人数で耕すのだという。子どもはタブレットで授業を受ける。食料など必要な物資は時折ヘリコプターが運んでくれる。

棚に薬が並んでいるから、大概の病気はそれで対処し、どうしても医者に診てもらう必要があればヘリで病院まで運んでもらう。特にそうした緊急事態がなければ、何軒かの農家以外は誰もいない場所で、契約通り、大型トラクターに乗って、規則通りに働くのだという。それで給料がもらえる。

契約通りの成果が出れば継続、できなければクビ。で、また都市部で「農家やってみないか」と募集する。アメリカやブラジルでは、企業が経営する農場が増えており、農家は農家というより、契約通りの業務を進めるサラリーマン。そして家族一緒に町から隔絶した生活を過ごす、というスタイルらしい。

そのパネリストは「日本でもそうすればいい」という。さて、これが果たして可能だろうか。結論から言えば、難しいように思う。アメリカやブラジルは平らな土地が恐ろしいほど広いが、日本は平地が少ない。アメリカ式な大規模農業は、日本で実施できるところは少ないだろう。

日本の農地の約4割は中山間地。つまり坂になっている場所。このため、1枚の田畑が狭い。狭い田畑をチョコチョコ耕す必要がある。いったん平らな農地に入ってしまえば、自動トラクターが耕せるようになったが、畔から田畑に移動させるのは、まだ自動では難しい。自動化は困難。

また、一枚の田畑が狭いから、大型トラクターを導入できない。少ない人数で大面積を耕すことは、中山間地では無理。だから、中山間地でアメリカ型の大規模農業を展開することは、現時点ではほぼ不可能と言ってよいだろう。

実際、中山間地は、労働が大変になる割に利益が出ないということで、どんどん放棄が進んでいる。上述のように大規模化も難しいから、低コスト化も難しい。では、中山間地は農地として放棄し、平地だけで大規模農業を推進したらどうなるか。

これはこれで、大きな問題となるだろう。日本は狭くて、平地のすぐそばにまで山が迫っている場所が多い。もし中山間地での農業を諦め、平地での農業だけにしたとしたら、獣害が平地でも起きるようになるだろう。そうでなくても獣害がひどいのに、中山間地で農家がいなくなり、人がいなくなれば。

シカやイノシシ、サルなどの野生動物が平地の際にまで進出し、平地にかなりの頻度で襲撃を重ねるようになるだろう。このため、まともに農業ができる面積はさらに狭まる恐れがある。

日本の平地がどれだけ狭いか、同じ島国であるイギリスと比較してみよう。イギリスは陸地面積が243,600 km²と、日本(378,000 km²)の3分の2しかない。しかし耕地面積は日本(43,490 km²)の4倍(172,593 k㎡)もある。イギリスは平らで、日本は山だらけだからだ。

平らな土地であることは、獣害を避けるうえでも有利。アメリカやブラジルのように、地平線まで耕地だと、野生動物はその広大な平地で生きていけない。生きることを許されない。広大な耕地には、農作物と、わずかな人間しか生きていない世界となる。

日本はそうはいかない。山が平地にかなり迫っていて、野生動物が平地に降りるにも、距離的にかなり近いという場所が多い。それでも中山間地の農家が踏ん張っているから、野生動物をそこでせき止めることができている。しかし中山間地の農業が崩壊すれば。

平地の際まで野生動物の生育域は広がり、平野部へ何度も襲撃するようになるだろう。
しかも、日本の場合、平地は人間が住みたがる場所でもある。東京は、日本最大の平野、関東平野に位置するが、農地面積はわずか3.7%に過ぎない。平らな土地は、農業に向いているだけでなく、人が住むにも向いている。

栃木の非常に広大な農地が潰されて大型ショッピングセンターになってしまった事例もある。もちろんそんなものができたら農地はどんどん潰され、住宅地に変わっていく。日本は、大規模農業をしたくても平地が狭く、その平地も都市住民との奪い合いになっている。

アメリカ式の大規模農業を実施できるのは、北海道くらいだろう。そして、アメリカ式の大規模農業以外の経営手法を認めない、ということになったら、本州では新潟平野などごく限られた場所でしか実施できないだろう。耕地面積は大幅に縮小し、生産できる食料もわずかになる恐れがある。

アメリカやブラジルで実施されている大規模農業は確かに合理的で、きわめて安価に食料を生産できる、素晴らしい方法かもしれない。しかし日本ではそれを適用できる場所は限られている。限られ過ぎ。大規模農業の一本足打法では、日本農業は壊滅する恐れがある。

もう一つ重要な違い。それは、雨が多いこと。中国の山東省に行って驚いたけれど、ほぼ砂漠。近くに見える山は緑がほとんどなく、土が露出したはげ山だった。田畑には、作物以外の緑はなく、畔には雑草ひとつ生えていない。作物は水路の水をもらえるが、雑草は雨が降らないから生えない。

しかし日本は高温多雨。放置すればすぐに雑草が生い茂る。中山間地から人が減ると、雑草を処理する人手が足りなくなる。このため、すぐに手の施しようがなくなり、山に戻ってしまう。山に戻れば野生動物の天国となる。人間は住んでいられなくなり、都市部に移らざるを得なくなる。

わずかな平野に人がひしめき、そして平野のすぐそばにまで雑草が生い茂り、野生動物が増え、平地の農地にまで襲撃を繰り返す。こんな悪条件が重なって、大規模農業を進められる場所は、日本ではほとんどない。この現実を、残念ながらそのパネリストの方は把握できていないのではなかろうか。

日本がまだしも食料を生産できてきたのは、中山間地で手間暇かけて農業をしてきたからだ。また、忘れてはいけないのは、機械化が進む前は、中山間地こそ農業に適していた場所だ、ということ。

戦国時代末期になるまで、実は日本では、平野部で食糧生産することはほぼできなかった。平野は沼地であり、疫病も発生しやすく、人の住む場所ではなかった。中山間地は水を確保しやすく、排水もしやすいため、人が住むにも、農業をするにも適した場所だった。平地の農地より、棚田の方が歴史が古い。

平野部で農業ができるようになったのは、戦国武将たちの中で大規模工事に優れた人物が登場し、愛知県の濃尾平野などを田野に変えることができてから。水路工事は大規模なため、指導力のある武将でないと実施できなかった。

中山間地の農業は、恐らく2000年近くの歴史がある。しかし平野部での農業はわずか400年ほどの歴史しかない。今の価値観だけで考えて、2000年もの安定した農業生産を実施できてきた中山間地を、本当に放棄して大丈夫なのか?その点に不安が残る。

江戸時代に何度も起きた大飢饉では、平野部での農家は餓死したりしているが、中山間地の農家はあまり餓死者が出なかったという。栃の実やドングリなど、山の幸を得ることができたからだろうと言われている。中山間地は、危機には強い場所だった。

現在の経済合理性だけで考えてよいのか?広大な平地ばかりの大陸の手法を日本全国に適用していいのか?歴史的に安全性の高い中山間地の農業を崩壊させて本当に大丈夫なのか?私たちは、いろんなことを総合的に考えていく必要があるように思う。

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