市井の中の凄み

柳宗悦は、版画家として有名な棟方志功に大きな影響を与えたことで知られる。柳氏は、江戸時代の名もない農民が作った民芸品の美を発見、再評価した人。その著作に「南無阿弥陀仏」がある。私はそれに出てくる「妙好人」に強い印象を受けた。

何をされても「ありがたや、南無阿弥陀仏」と感謝する、素朴な農民。あまりに何でも感謝するので、一見愚かにも見える。しかしあまりにも徹底してるので次第に凄みさえ感じてしまう。その凄みが、素朴に見える民芸品の美しさに現れるのかもしれない。

市井の中の凄みと言えば、ある中国残留日本人婦人を思い出す。
中国残留日本人婦人を特集したその番組では、多くの婦人が日本に帰れなかった不運を嘆き、日本で暮らす親族を羨ましがり、帰国したがっていた。しかしその女性はカラカラ笑って楽しそう。好景気に湧く当時の日本を羨ましくないという。

日本の親族を探り当て、取材。するとその女性の弟だという男性が涙を吹き出させるように泣きながら、「姉は私たちのために犠牲になったのです」。弟によると、満州から逃げる際、途中で父親は病死。姉、弟、弟の母親(姉にとっては継母)の三人で港にたどり着いた。しかし。

所持金では二人しか船に乗れないという。「その時姉は母に、『あなたは跡取りを日本に無事に連れて帰る責任があります」と言って、自分が残ったのです」。14歳の娘が、日本人を憎む色の濃かった中国に残るということの過酷さ。しかし女性は自らそれを選んだ。

大人になり、中国人男性と結婚するまでの数年間、どう過ごしていたのか、本人が語らないから不明。
スタッフが、事情を聞いたと伝えると、何かを思い出したのか、女性は涙を浮かべたが、すぐに笑い、「いやだね、こんなことで泣いて。仏様に笑われるよ、こんなことで泣くのか、って」。また笑った。

笑ってばかりのおばあさん、テレビスタッフにも笑いかけてばかりの明るいおばあさんは、その笑顔の裏にすさまじい凄みが隠されていた。
私はこの女性のマネができるだろうか?自信がない。むしろ継母と交代しろとケンカになるのが普通。自分から残ると言えるだろうか?十四歳の娘が?

モンテーニュは死の恐怖を克服したいと考え、過去の偉人がいかに死を心静かに受け入れたかを学び、自分もそうなりたいと願った。ソクラテスは友人たちの前で毒人参を飲み、静かに死んだ。セネカは風呂の中で手首を切り、敵兵に見守られながら静かに死んだ、などのエピソードをたくさん学んだ。

ところが、モンテーニュが旅先で見たものは。ベストにかかっても嘆くことはなく、働けるだけ働き、いよいよ動けなくなったら横になり、そのまま静かに死んでいった農民たち。ソクラテスやセネカにも匹敵する、静かな死の受け入れ方。愚かと思っていた農家がこんな英雄的な生き方をしていたなんて!

英雄とは、豪傑や社会的地位の高い人であるとは限らない。名もなき市井の人であっても、凄みをみせることがたびたび。英雄豪傑の偉業よりも難しいことを日常的にこなしている人は多い。

ところで、冒頭の妙好人とはどんな人だったのだろう?市井の人達だったので、歴史に残っていない。僧侶だったので庶民とは言えないが、妙好人はこういう人だったのかも、と思えるのが、良寛さん。

良寛さんはある村で大悪人と間違われ、首だけ出た状態で生き埋めにされ、そのまま殺されかけた。たまたま良寛さんを知っている人が通りかかり、命拾いしたが、「どうして人違いだと言わなかったのですか」と怒ると、「そう信じこんでるのだもの、殺されるより仕方ないじゃないか」と言ったという。

良寛さんが渡し船に乗ったところ、これが噂に聞く良寛か、と気づいた船頭は、良寛を水の中に叩き落とした。袈裟が邪魔して溺れた良寛さん、もう沈む、という直前に船頭が船に戻した。すると良寛「あなたは命の恩人です」。向こう岸に着いても心から感謝する良寛さんを見て、船頭は深く後悔したという。

旅の途中、良寛さんは店に立ち寄ると、「あいにくこんなものしかありませんが」と魚の煮付けを。良寛さんはうまい、うまいと食べた。それを見ていた若い僧侶は、「生臭坊主
め」と蔑むような眼で見ていた。
その先の宿で、良寛さんと若い僧侶は同じ部屋になった。ところが大変蚊がひどい。

良寛さんは平気な顔。若い僧侶は体のほうぼうをバシバシ叩きながら「よく平気でいられますね」と言うと、良寛さんは「なに、私は何でも食べる代わりに、食べられることにもしてるだけだよ」。僧侶は雷に打たれたような顔に。良寛さんは「すまんすまん、そんなつもりじゃなかったのだが」と謝った。

良寛さんは子どもらと手鞠つく牧歌的な過ごし方をしたとして知られるが、良寛さんには不思議な凄みがあった。
住んでいる小屋の床下からタケノコが伸び、もう少しで屋根を突き破ろうとしていた。良寛さんはタケノコのために屋根に穴を開けてやろうと火を近づけると、そのまま火事になってしまった。

村人が火を消してくれたが、小屋は全焼。住む家を失って良寛さんも大変だろうと村人が心配してると、良寛さんは「タケノコを焼き殺してしまった、かわいそうなことをした」と、タケノコのことばかり言っていたという。

良寛さんは地元でとても愛好されていたお坊さんだったため、こうしてエピソードがたくさん残されている。しかしおそらく、市井の妙好人と呼ばれる人達は、良寛さんと同様、凄みを見せるくらいの人の良さだったのだろう。その凄みが、周囲を感化させずにいない影響力をもっていたのかも。

ウクライナの人達を見ていると、トルストイの「イワンのばか」を思い出す。イワンは徹底したお人好しで、ただひたすら田畑を耕しているうち、周囲を感化させずにいない凄みを見せる。イワンはロシア人だと思っていたが、もしかしたらウクライナ人なのかも。

英雄は、組織のトップに立った者だけがなれるものという思い込みがある。しかし私は、市井にこそ英雄も足下に及ばない凄みを見せる人がいる。私はそんな人になれるだろうか、と常に考え込む。

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