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根性と気合で誤魔化すな

30代で職場のストレスからくるうつになった私。幸い当時の店長が「病院に行った方がいい」と声をかけてくれたおかげで、病状が判明したのだが、うつという病気に理解のない人に当たった時は辛かったな。

私が働いてた職場は、多分、ブラック企業と言えば?と聞かれたら何人かが、ああ、と納得するような某大手販売店だった。実際に私の他に精神病んで休職になった社員もいる。私が関わっただけでも二人辞めた。
合う、合わないが極端に分かれてて、合わない人はとことん合わないのが私の職場だった。大抵の人がうつに理解を示してくれたが、当然、そうじゃない人もいた。
後から配属された社員に「私はうつになりたくてもなる暇ないんですよ」とか言われたし。私に暇があったとでも言いたいのか。朝から晩まで働いて、タイムカード切った後に倉庫の整理もしてたんだぞ。
こんな職場とっとと辞めれば良かったが、辞めれなかった理由に両親の存在がある。
共に若い頃、今でいう毒親の元で苦労して、自力でなんとか育児まで終えた両親。根性と気合で働きながら家庭を支えた両親に「うつ」という病気は理解してもらえなかった。
「せっかく勤めたのだから頑張りなさい」
「職場はどこもしんどいものだ」
そう言われた。言いたいことは分かる。分かるんだけど。
精神が根元から折れてる状態で、根性とか気合とか精神論で責められても意味が無いのだ。気合で立て直す精神が根元から骨折してるような状態で、立て、と言われても無理がある。
両親に病気の理解が無かった数年、本当に地獄の日々だった。職場の同僚は理解を示してくれたが、そもそもその職場がうつの原因なのと、皆自分の仕事で忙しいので、心から頼れる存在ではなかった。どこにいても居心地が悪かった。睡眠薬を飲んでも眠れず、欠勤しながら無理やり5年働いた頃には「中等うつ」まで悪化していた。

なんだかんだで現在は両親も丸くなり、病気に理解を示してくれるようになり(というよりならざるを得ない、というのが正しいか)、実家は安らげる場所になったが、これから先の事を考えると全然心が休まる気がしない。
今の家族の悩みは母のがんの再発の可能性だ。再発したら先は長くない、と言われている。父は今も健康で毎日どこかに出かけたり、ゴミ捨てなどの家事をしてくれているが、いつどうなるか分からない。当然、年齢的に若い娘の私が全てを担うことになるが、その私がこのざまだ。

不安が無くならない。最近、漠然としつつも、うっすらとした形を帯びた不安感に苛まれている。両親が死んだらどうする?私はどうなる?

私自身はぶっちゃけ死ぬのは構わない。どうせ一度は死んだ身なのだから。
ただ、私以外の誰かが、最後の一人になるのがとても辛い。最後に一人残された気持ちを考えるととても辛い。その役目は私が引き受けたい、と思っている。死ぬわけにはいかない。前に進むしかないのだ。

あの頃、職場で他店からの応援が来て、品出しをしてくれていた社員や店長。
「気合があれば品出しは出来る!」とすべての品出しをしてくれた他店の店長に倉庫担当の私は感謝の言葉を述べたが、無理やりなスケジュールを気合いで何とかしようとするから病気になる人が後を絶たないんだと今になって思う。
こんな話はどこにでもある。上層部と現場なんてどこの職場でも折が合わないものだ。しかしここまで酷いのは自分の人生の中で初めてだったな。

何人もの人生を犠牲にしたあの会社、少しは経営方針を変えたらいいのに。そんな会社が今もどこかで存在してるのが現代の闇というか。

精神論で何とかなる!で突き通すんじゃなくて、オペレーションやスケジュールの見直しをもっとしっかりして欲しい。ダメになったら新しい人材を雇えばいいかぐらいに思ってないか?病んで辞めた人間の分だけ顧客が減るとか考えられないのだろうか。少なくとも私は辞めて数年はその店はおろか、店があるショッピングモールそのものに足を踏み入れられなかったぞ。

時代は変わる。世代も変わる。いつまでも無謀な野心を精神論で誤魔化す経営理念、止めにせんか?いい加減。


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